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HOME  > 卒業生インタビュー  > No.34 宇佐美 雅浩[写真家・美術作家]

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No.34 宇佐美 雅浩[写真家・美術作家]

宇佐美 雅浩(うさみ・まさひろ)
写真家・美術作家
(1996年度 武蔵野美術大学造形学部 視覚伝達デザイン学科卒業)

1972年、千葉県生まれ。1992年、武蔵野美術大学短期大学部グラフィックデザイン専攻に入学し、3年次に武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に編入。1997年、卒業。同年、ASATSU-DKに入社し、CMプランナー、デザイナー、営業を経て、2001年に退社。スタジオカメラマン、写真家のアシスタントを経て、2004年に独立。中心人物とその人物の世界を表す物や人々を周囲に配置し、仏教絵画の曼荼羅のごとく1枚の写真に収める「Manda-la」プロジェクトを大学在学中から20余年続けている。主な個展に2015年「Manda-la」(ミヅマアートギャラリー/東京)、2016年「ART PHOTO TOKYO -edition zero-」(ミヅマアートギャラリーブース 茅場町共同ビル/東京)、2017年「広島アートスポット Vol.4宇佐美雅浩」(旧日本銀行広島支店/広島)、同年「PAFOS2017」(キプロス)、2018年「Manda-la in Cyprus」(ミヅマアートギャラリー/東京)などがある。2018年11月4日までイタリア・トレヴィーゾにて開催されているグループ展「I Say Yesterday, You Hear Tomorrow. Visions from Japan」に出品中。
HP:http://www.usamimasahiro.com

 

 

【スライド写真について】
1 写真「マンダラ・イン・キプロス 2017」。分断された両地域の子どもと兵士たちが花を並べ、ひとつになった未来のキプロスの地図をつくっている。ドラム缶で再現された南北を隔てるグリーンライン(境界線)で隔てられたギリシャ系、トルコ系の人々のポーズは、それぞれの宗教(ギリシャ正教・イスラム教)の平和への祈りを表している。
2 写真「早志百合子 広島 2014」。黒い部分は死体の山を、写真の右側は過去、左側は現在と未来を示す。高齢者から子どもまで4世代にわたる撮影参加者とボランティアスタッフを合わせ、約500人がこの1枚に関わった。
3 写真「伊藤雄一郎 気仙沼(宮城) 2013」。津波で気仙沼の市街地に打ち上げられた共徳丸を、解体2日前に撮影。敷いてあるのは、流されたのち回収された大漁旗約400枚。
4 写真「大塚健 秋葉原(東京) 2013」。中心に映る男性は、年商約60億円を稼ぐK-BOOKS代表取締役会長の大塚健さん。筋ジストロフィーを患っており、介護タクシーを待機させて撮影した。
*以上、1~4まで©USAMI Masahiro, Courtesy Mizuma Art Gallery
5  本人ポートレート。イタリア、Gallerie delle Prigioniにて。©Marco Pavan, Gallerie delle Prigioni

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学生時代に始めたライフワークが、東日本大震災を機に深度を増す

−短大時代の思い出は

二浪して、今はなき短大のグラフィックデザイン専攻科に入学したのですが、2年という短い時間で平面や立体などさまざまな実技を学べたこと、1年目で写真という表現が自分に向いていると明確に意識できたことはとてもよかったです。視覚伝達デザイン学科への編入も入学時から目標にしており、作品制作は常に全力投球でした。
卒業制作は、アムネスティという国際人権擁護団体のポスターをつくりました。日本在住の外国人を探して交渉し、テレビモニターを手にもっていただいて撮影したんです。例えばアフリカ系アメリカ人の場合は1992年に起きたロサンゼルス暴動のシーンをモニターに流し、本人のコメントをコピーとして掲載しました。

−宇佐美さんの写真のテーマ「Manda-la」プロジェクトは、学生時代に始まったとか

ええ、大島洋先生による「テーマを自ら決め、4×5(シノゴ)で撮影する」という課題がきっかけです。短大の卒業制作で海外の人の気持ちを掘り下げるというかなりタフな時間を過ごしたばかりだったので、今回は手抜きをしようと(笑)、テーマを「友達」にしました。友人の家で1枚シャッターを切ればいいかと訪ねると、部屋が私物や缶ゴミで散らかっていて。それらを片付けつつ、コーラの缶で壁をつくったり、エロ本を開いたり、作品を本人に持ってもらってポラロイドを切ってみたら、彼の個性がたった1枚で表現できた気がしたんです。
それが面白かったんでしょう。手抜きのつもりが、あらゆる友達の家を訪ねて撮影する羽目になり、年を追うごとにエスカレートしていった。2017年に至っては、南北に分断されたキプロスを舞台にギリシャ系住民とトルコ系住民の写真を1枚に収めるというところまで突っ走ってしまいました(笑)。


ミヅマアートギャラリーで行われた個展「Manda-la in Cyprus」の展示風景。メイン写真を中心に据え、さらにキプロスの南側と北側の地域を対比させた写真、LGBTやサッカーチームをテーマにした写真、南北のボーダーを自由に行き来する猫を撮った写真で展示を構成した。©USAMI Masahiro, Courtesy Mizuma Art Gallery

−個展「Manda-la in Cyprus」で発表された作品のことですね。制作するきっかけは

EUに「欧州文化首都」という制度があって、加盟国の中から毎年2都市を文化首都に選ぶんです。目的は1年を通じて芸術・文化に関するイベントを開催し、相互理解を深めること。2017年はキプロスの街「パフォス」が選ばれ、「PAFOS2017」というイベントで「Manda-la」を発表しないかとキュレーターに誘われました。リサーチに行ったのは2016年12月の2週間、撮影は2017年4~6月までの44日間と、9~11月までの62日間です。12月にキプロスで、翌年2月には東京で個展を行いました。
キプロスは、ギリシャ正教徒であるギリシャ系キプロス人と、イスラム教徒であるトルコ系キプロス人の住む地域が南北に分断されています。その現状と、過去の歴史を乗り越え未来をつくろうと模索している彼らの姿が、いまの世界情勢とリンクしたんですよね。世界中の人々が何かを考えるきっかけになる作品となっていれば嬉しいです。キプロスではこれまでの「Manda-la」のフォーマットではない作品もつくれてよかった。少しずつ自分のスタイルを崩しながら進化していけたらと思います。

−大学時代に写真と出会いつつ、広告代理店に就職したのはなぜですか

写真家として生きていく方法がわからなかったのと、当時は大貫卓也やサイトウマコトの広告表現に興味があって、アートディレクターになりたいと思ったから。ただ、就職して1年目の後半で「やっぱり写真のほうが向いている」と思い直し、ある広告カメラマンに弟子入りを相談すると、「写真家は大変だぞ。ギャラは安いし、自殺率だって高い。俺だっていま仕事がない(笑)。せっかくだから代理店でアートディレクターとして写真家をたくさん使って、そのあとで写真家になればいいんじゃないか?」と諭されたんです。
結局4年間、子会社のデザイナーや本社営業も経験し、その間もずっと写真は撮り続け、スタジオカメラマンと広告写真家のアシスタントを経て、2004年にフリーの写真家になりました。


独立直後の作品「近谷浩二、徳永俊博、荻原康彦 東京 2004」。新宿ゴールデン街で知り合った男性から「都庁の公務員、アクション映画の俳優、ミュージシャンが暮らす部屋」を紹介され、撮影した。©USAMI Masahiro, Courtesy Mizuma Art Gallery

−宇佐美さんにとってアートとは

僕は広告や雑誌で写真家として仕事をしていますが、自分の作品をつくるときは美術作家として作品をつくっています。その際に大切なのは、古代の壁画からピカソ、そして現代まで延々と続くアートヒストリーがあって、いかにオリジナリティを持ってその地図に自分をマッピングできるかを考えること。自分の立ち位置を客観的に分析し、歴史と闘いながら、表現を見つけることだと思うんです。
実は僕は写真にはこだわりはなくて、絵でもいいんです。あくまでも「表現」が先にあって、表現するための最善の手段がいまは写真だということ。最近は絵もよく描いているんです。特に僕の写真は大勢の人とコミュニケーションを取りながらともにつくり上げていく、リレーショナルアートのようなもの。キプロスでは大冒険をしている気分になり、作品づくりの期間はよく映画『インディ・ジョーンズ』のテーマを聴いていました(笑)。絵を描くのは写真とは真逆で、裡(うち)に入り込む作業です。自分ひとりで解決するのは孤独だけど、自分の心の中を掘り起こしていく良い時間でもあります。両方行うことでバランスが取れていますね。

−今後の展望は

「Manda-la」というコンセプトを長く続けてきましたが、振り返って自分が作家として本気になったのは東日本大震災が起きてからでした。それまでは主に画面の構図、つまり人と物の配置や、日本のカルチャーやエッセンスをいかに表現するかという表面的なことにとらわれていた。でも、東日本大震災をきっかけに「日本人が抱えてきた歴史」と「いま向き合わなくてはいけない課題」を作品に託したいと思ったのです。それで撮ったのが、福島の一連の作品(下の写真)と、それに続く広島の作品です。
今後の展望としては、原爆を投下された長崎、内戦を経験している沖縄、東京大空襲を体験したご存命の方々という3つをテーマに、写真「早志百合子 広島 2014」と同じレベルで撮影したい。広島・長崎・沖縄・東京を4部作に仕立て、世界の美術館を飾るのが目標です。


写真「佐々木道範 佐々木るり 福島 2013」。福島第一原発事故により放射線物質に汚染された桜並木の下で、防護服を来て花見を楽しむ地元の人々をテーマに撮影。©USAMI Masahiro, Courtesy Mizuma Art Gallery

−ムサビで学ぶ学生にメッセージを

大学在学中に自分の表現を見つけられない人がほとんどだと思いますが、だからこそ「見つけられたらラッキー」くらいの気持ちで、いろんなことに挑戦してみるとよいと思います。
あとは、数は少なくていいから、深い友達をぜひつくってほしい。特に将来クリエイティブなことを続けていたら、仕事でも作品づくりにおいても、友達は大きな財産になります。装丁などで有名な寄藤(よりふじ)文平とも親しいのですが、彼となぜ20年以上も続いているのかというと、お互いに真剣に作品をつくり続けているから。せっかくムサビに入ったのであれば、自分の表現を探し、それを真剣に続け、友達と切磋琢磨していってほしいですね。

−編集後記

世に数多いるカメラマンで、自分がなぜ宇佐美雅浩さんをムサビキャラバンに推薦したかといえば、「Manda-la」の作品群に圧倒されたからだろう。一瞬で伝えたいテーマやコンセプトが理解できる彼の写真の力と、彼自身の純粋で真摯な作品づくりには心を打たれた。長崎、沖縄、東京が続くよう、応援したいです。

取材:堀 香織(92学油/フリーランスライター兼編集者)
ライタープロフィール
鎌倉市在住のライター兼編集者。石川県金沢市生まれ。雑誌『SWITCH』の編集者を経てフリーに。人生観や人となりを掘り下げたインタビュー原稿を得意とする。毎月、雑誌『Forbes JAPAN』で執筆中。ブックライティングの近著に映画監督 是枝裕和『映画を撮りながら考えたこと』『世界といまを考える(全3巻)』、横井謙太郎・清水良輔共著『アトピーが治った。』、落語家・少年院篤志面接委員 桂才賀『もう一度、子供を叱れない大人たちへ』など。
https://note.mu/holykaoru/n/ne43d62555801

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