チャレンジしなくなったら、生きている気がしない。 チャレンジしなくなることが、一番のリスク。
2005年度 造形学部空間演出デザイン学科卒業
豊嶋 慧(ファッションデザイナー)
CINRA WEBサイトインタビュー記事:https://www.cinra.net/article/job-creator-euro-10-toyoshima
【スライド写真について】
1.Haider Ackermann FW20 ランウェイショーのバックステージにて – パリシャイヨ宮、2020年
2.Bottega Veneta FW22 ルックブック撮影のバックステージにて – ミラノ
photo:Kei Toyoshima、2021年
3. 66°North 氷の洞窟内でのキャンペーンヴィジュアル撮影 – アイスランド
photo:Kei Toyoshima、2022年
4.66°Northのチームメンバーと撮影旅行 – アイスランド
photo:Kei Toyoshima、2022年
ムサビでの「4年間」
何も持ちえていなかった自分から、社会に出る準備を整えていた卒業までの4年間。周りから見れば、すべてのことは東京の片田舎、小平周辺で起きたことで、私のことを知る人達は、私の変化を特には感じてはいなかったと思う。同じ環境と同じ毎日に、若さから来るフラストレーションも感じていたが、その思いをバネに、将来、海外へ渡る準備を進めていた。
ファッションデザイナーとしての「4年間」
かたや直近の4年を振り返ってみると、私の周りの環境という点では非常に目まぐるしい変化があった。パリにてファッションブランドのHaider Ackermannのヘッドデザイナーを経たのち、ミラノに引っ越し、Bottega Venetaのヘッドメンズウェアデザイナーを務めた。現在はアイスランドのアウトドアウェアブランド、66°Northのクリエイティブディレクターを務めながら、パリにベースを戻し、Louis Vuittonのメンズウェアデザイナーも兼任している。
駆け出しの頃に先輩のデザイナーから「転職できないデザイナーは、業界で実力がないと思われる。海外のファッションスクールを出て、卒業制作が取り上げられるスターでもない限り、叩き上げで実力を見せていくしかない」と言われたのを覚えていて、新しいチャンスがあれば、常に挑戦をしてきた。あまりに速いペースで新しいことをやっていくので、周りのデザイナーの友人も、私の行動は理解に苦しむらしい。新しく物事を始めるということは、環境が変わる上に人間関係も変わってくるので、変化にリスクを感じるようだ。
仲間と共に
ここで表現したいことは、何も「最近色々頑張っているんです」と言いたいわけではない。「4年間」という期間が人をどう導いていくのか、ということの例であって、何に指標を置くかによって人の捉え方は変わってくる。今思えば、私はムサビで何が自分を動かす原動力なのかを言語化できたことに「私自身の成長」を感じていたし、モラトリアムと言われる日本の大学が、技術や知識という点で得られるものが少ないとしても、私にとっては未来へ導くコンパスになっていたことは間違いない。
「私自身の成長」という点に焦点を当てるならば、ムサビでの4年間とファッションデザイナーとしての4年間は、私にとって何ら変わることはない。変わったことといえば、社会との関係であって、自分自身との向き合い方には、大きな変化はない。私が社会との関係性を自分から変えられるようになったのは、チャレンジすることで精神的成長が得られたからに他ならない。新しい経験、知識を得たあとは、世界は全く違うように見える。それは私にとってとても喜ばしいことであり、原動力になっている。
次の4年間はどんな世界が待っているのか、実感としては、孤軍奮闘でやってきた今までから、また一つ成長して、人と共闘していく未来が見えている。未だに、自分自身にクリエイティブの才能があるかなどは考えたことすらないが、私は他に代わりのきくような人にはなりたくない、誰も追いつけないところまで走り切るつもりだ。
今後、一緒に並走してくれるかもしれない仲間が、少しずつできていることが現在の楽しみ。今、たまたまここを通り過ぎてくださった皆様と、将来何かプロジェクトをやっているかもしれない。考えるだけで人生はエキサイティング。ここで出会ったのも何かの縁、今後ともご贔屓のほどよろしくお願い申し上げます。