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HOME  > 卒業生インタビュー  > No.13 真島 俊一 [TEM研究所所長]

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No.13 真島 俊一 [TEM研究所所長]

真島 俊一 まじま しゅんいち
TEM研究所所長
(1970年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業)

1947年生まれ。大学3年のとき佐渡を訪れ、地域調査をしたことがきっかけで、
建築学科の仲間たちと在学中の1969年にTEM研究所を設立。
学生の頃から民俗学者・宮本常一に師事。
武蔵美のキャンパス内にある「民俗資料室」設立のきっかけをつくる。
全国を歩いて民家や生活、和舟の調査・研究・分析をし、
日本の中で見落とされることの多い「地方や離島の価値を発見する」ことから、
文化財を通して地域文化の再生に尽力する仕事をしている。
1998年に旧小木町(現佐渡市)の博物館の資料(板図など)から実物大の北前船を復元。
船は歴史的地域遺産として寄港地・宿根木に展示されている。
今後は2017年3月に『民具学辞典』を刊行予定。
また、1985年に刊行した『図説 佐渡金山』が改編され新版として出版予定。
http://www.tem-jp.net

【スライド写真について】
1 ご本人ポートレイト
2 復元された千石船(所蔵:佐渡国小木民俗博物館、提供:佐渡市教育委員会)
3 『千石船実施設計図』 真島俊一
4 船大工の設計図「板図」レプリカ(所蔵:神奈川大学内常民文化研究所)
5 宿根木集落航空写真(提供:佐渡市教育委員会)

プロフィールを見る

北前船(千石船)を復元したら、島のおばあちゃんが感動してポロポロ泣いた。これが文化の力。文化の仕事では“共感”が大切。

− 真島さんが学生時代に佐渡へ向かったきっかけを教えてください

私が大学3年の時が1968年。当時は大学紛争で、大学に行っても授業がなかった。ちょうどデザインサーヴェイといって集落を調べるのが流行っていて、学生生活をもて余しているところに友だちから佐渡へ行かないかと誘われたんだ。
日本海側に行くのは初めてさ。伝統的な建築デザインの空間や文化を調べようということで、集落図をつくって、間取りを調べた。僕は海のない栃木県で生まれ育ったから、佐渡では海に出て、たらい漁をずっと見ていた。
小木岬をぐるりとまわった時、宿根木という千石船を運航する廻船業の村と出会ってね。ここは船頭、水主、鍛冶屋、桶屋、石工、船大工などが住む村だった。驚いたのは、外壁は木のヘギ(粗板)が貼ってある荒々しい造りなのに、家の中を見せてもらうと柱梁、床、建具などが朱塗りなんだよ。
外観と室内のギャップが大きかった。これにはビックリして、かっこいいなと思った。それが千石船に乗っている船主の家の意匠だと後で知るわけ。


宿根木にある船主の家(清九郎)の内観 (C)TEM研究所

− 集落の調査結果はそれからどうなりましたか

武蔵野美術大学名誉教授で民俗学者の宮本常一先生が、私たちの佐渡調査を目にして、「真島くんというのはどなたかね?」と私を教室まで尋ねて来られた。遊んでばかりいたから、武蔵美に宮本常一先生がいるなんて露程も知りませんでしたね。それで調査結果を発表することになってね。
「宿根木調査展」(1970年1月12日~1月24日・武蔵野美術大学美術資料図書館1階展示室)として展示されて、現在の民俗資料室設立にもつながった。佐渡国小木民俗博物館に巡回展示もされました。
私たちが実測した間取りの情報は、佐渡国小木民俗博物館・館長(林道明さん)等に活用され、大量の船大工道具や民具の収集をし易くするきっかけとなった。また約1,000点近くの船大工道具は、国指定重要文化財になったり、宿根木で、私たちの調査活動のシンポジウムも開かれたりした。
その調査資料がきっかけで廻船業の村が、町並み保存(重要伝統的建造物保存群)されることになったのはずっと後のことですがね。


− 廻船業の村に出会って感動したことが、今の仕事につながっているのでしょうか

確かにつながっている。出会って感動することは大切なことだよね。感動がなければ発見はできない。大学卒業後も佐渡で調査の仕事に関わり続けたことで、宿根木も町並み保存ができたし、文化財の調査を通して地域開発をするなら、フレッシュな目で見てその地域の文化的能力は何かを発見することですよ。
その地域が日本でナンバー1になれるものはなにかを探すことだね。


− 各地方に「ナンバー1になれる文化」はあるでしょうか。

たくさんある。例えば愛知県の常滑は土管で日本一になった。今も焼物で有名だね。調べてみると、焼物の産地はほとんど海辺にある。土管は現場では継なげて使うから総量もあり、何トンにもなるから、重いものを運ぶにはトラックよりも安価で大量に運べる船に利便性があった。
日本列島が海に囲まれていたからこそ、米や瓦など近世の産業物が発展したといえる。佐渡も調査したら、北前船ほどの船を造船するには巨木が島になければつくれないことがわかった。
日本はあちこちに巨木を資源に持つ国で、しかも佐渡という島が日本一といえるほどの巨木文化を持っていたことが発見だった。地方の特色ある文化はあなどれないよ。


巨木で造船されていた北前船。 森林大国・日本の文化を象徴している。

− 最後に「いい仕事をする」ためのアドバイスをお願いします!

僕が調査の結果を経て実物大の白山丸(北前船)を復元したときに一番うれしかったのはね、昔の船主の家のおばあちゃんが言ったひと言。
「ウチはこんな大きな船を使っていたのか、ありがとね」「亡くなったお父さんに見せたかったな」ってポロポロ泣かれたよ。こんなに喜ばれるとは思わなかった。文化ってそういう力がある。
いい仕事がしたいなら、たくさんの人に共感される仕事をすることですよ。
それから僕は建築学科だったから、建築でも共感されるものを造っていきたいと思っている。


東和町交流センター(真島氏設計) (C)TEM研究所


研究所内は約4万冊の書籍や地域調査の資料で埋め尽くされている。本棚に宮本常一先生の写真が飾られていた。

− 編集後記

本記事を担当したライター古玉の卒論は、真島さんが手がけた北前船の仕事でした。先輩としてご活躍に注目し、その足跡を後輩として追いかけたい。そんなことを思うインタビューになりました。

取材:古玉かりほ(15通芸文/飛騨市美術館学芸員)

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