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No.65 竹内 誠[(公社)日本サインデザイン協会会長/(株)竹内デザイン代表取締役]

竹内 誠(たけうち・まこと)
(公社)日本サインデザイン協会会長/(株)竹内デザイン代表取締役/一級建築士
(1987年[1986年度]大学院造形研究科デザイン専攻建築コース修了)

1961年、岡山市生まれ。1987年、大学院終了後、(株)スタジオ80*、(株)アーキノーバ建築研究所を経て、(株)黎インダストリアルデザイン事務所へ入社。営団地下鉄、東京臨海新交通 「ゆりかもめ」等のプロジェクトを経験。1995 年に独立し、一級建築士の資格を取得。1999年(有)竹内デザインを設立、2006年に株式会社化。代表作としては六本木ヒルズ、赤坂サカス、東急電鉄サインマニュアル、渋谷(駅・街)サインプロジェクトなど多数。
趣味は街歩き、出張、楽器(ベース)演奏

*スタジオ80:インテリアデザイナーである内田繁・三橋いく代・西岡徹の3人の個人作家が1981年に結成したスタジオ

Webサイト:https://takeuchidesign.co.jp

【スライド写真について】
1. 本人ポートレイト
2. 赤坂サカス
3. 日大アスレティックセンター八幡山
4. 副都心線渋谷駅

プロフィールを見る

「人を幸せにする」サインデザインをめざして

─ ムサビを選んだきっかけは?

子供の頃から工作が得意で、高校時代にはオーディオに凝り、真空管アンプやスピーカーを作っていました。それで工学部を目指しましたが、不合格。浪人中にムサビに通う先輩に会いに行ったところ、毎晩飲めや歌えやと楽しそうな学生生活を送っていて、「おまえもムサビに来い!」との誘いに思わず乗ってしまった(笑)。高校時代の美術の先生にも「絵心がある」と励まされてすっかりその気になってデッサンの勉強を始めたものの、季節はすでに秋。幸い建築学科に受かりましたが、建築の知識は乏しく、著名な建築家の名前など一人も知らなかったくらいでしたよ。

─ どんな大学生活でしたか?

真面目に勉強というより、アルバイトとバンドという感じでしたね。入部した軽音部が廃部の危機に直面し、なぜかまだ一年生だった自分が部長に抜擢されてしまって。部の立て直しに奔走する中、部費集め目的の新歓コンパがきっかけで、ベースギターを始めました。そのときのボーカルは(のちの)リリー・フランキー。リリーは一年下で同じアパートの住人でした。


バンドはベースを担当。左の写真は左側が竹内さん

─ 大学の卒業制作は何をテーマに?

玉川上水駅の設計です。人が集まる場所というと、外国では教会や公園などが思い浮かびますが、日本の場合、「駅」ではないでしょうか。そんな「駅」が好きでした。玉川上水駅は当時計画中だったモノレールと西武拝島線が交差する場所でおもしろそうだったので題材に選んだのです。ノーマン・フォスターやリチャード・ロジャースを中心としたハイテク建築に心惹かれていたので、スペースフレームを使った大空間の駅舎を想定しました。


卒業制作「玉川上水駅の設計図」

─ 大学院時代に3ヶ月間フランス留学したそうですね

最初の1ヶ月はグルノーブルで仏語を学び、残りは語学学校で知り合ったヨーロッパ人の家を訪ねながらバックパッカーで旅行しました。それがすごく楽しかった!予想外のアクシデントも多々あり、とりわけ電車に乗り損ねて野宿したミラノ駅は忘れられません(笑)。でも、そうした苦労の体験がへこたれない性格を作るなど、後に大きな影響を与えたと思います。


フランス語学学校の授業風景/ヨーロッパ旅行

─ 大学院修了後の進路は

スタジオ80やアーキノーバ建築事務所などで建築の仕事に携わりましたが、そこでは大学院での知識が現場では通用しないことを思い知る苦難の日々でした。それでも必死に頑張っていたところ、黎インダストリアルデザイン事務所に勤める友人から「おまえ、駅が好きだったよな」と誘われたのです。

赤瀬達三氏が率いる黎デザインは、当時、営団地下鉄のサインを一手に手がけており、日本初の鉄道サイン計画を作成したほか、当時の複合高層ビルのサインも手がけるなど、日本のサインデザインの黎明期を支えていたと言えます。建築事務所で設計をしていたときは、部分的なことしかわからなかったのですが、サインデザインは自分が描いたものがすぐできあがるので、非常におもしろかった。さまざまな仕事を通じて、グラフィックデザイン、プロダクトデザインからプレゼン手法まで、幅広く学んだ。ゆりかもめのプロジェクトでは、サインだけでなく、駅舎から、車両、設備機器、切符に至るまであらゆるデザインに取り組みました。

─ 独立後どんなプロジェクトを手がけられましたか

1995年に独立し、勉強して一級建築士の資格も取りました。以前一緒に仕事をした人たちから声がかかり、新しいビジネスへとつながっていきました。2006年に株式会社竹内デザインとなり、現在は、環境デザイン、グラフィックデザイン、建築・内装デザインを提供しています。これまでの代表作としては、六本木ヒルズ、赤坂サカス、渋谷(駅・街)サインプロジェクトがあります。


渋谷サインプロジェクト。2020年に、日本サインデザイン大賞/経済産業大臣賞を受賞

渋谷駅の100年に一度といわれる大規模な再開発計画は、駅周辺のまちづくりに関わる関係者(鉄道事業者、開発事業者、行政など)が互いの垣根を越えて、来街者の視点でサインを見直し、誰もがわかりやすい駅環境の実現を目指すものとして、2010年代後半に始まりました。公共通路において、サインのデザイン統一化と表示内容の共通化が図られ、公民連携のサインシステムが実現したのです。私は渋谷駅前サインガイドライン策定委員会のアドバイザーとなり、サインデザイン全般を担当しました。この整備プロジェクトは渋谷区全体に広がっていく予定です。

─ 現在取り組んでいる主なお仕事は

一つ目にはラグジュアリーホテルのサイン計画。京王プラザホテルのリノベーションや汐留のコンラッド東京を手掛け、ラグジュアリーホテルのサインのスタイル、コンセプト、プロセス、プレゼンテーションなどのノウハウが蓄積されていきました。今も6件ほど進行中です。高級ホテルのサインデザインをする会社は限られているので、実績を評価いただいたのではないでしょうか。


汐留コンラッドホテルのトイレサイン。コンセプトはジャパニーズ・モダン・ラグジュアリー。表示面に漆を採用し、ステンレスや石を組み合わせ、伝統的技法と素材によるモダンかつ繊細なコントラストを表現。

二つ目は再開発のサイン計画。昨今はバリアフリーやユニバーサルデザイン、景観の問題などが重要視されており、サイン制作はそれらに深く関わっています。再開発のような組合事業で、初めに設定される予算の中に、必要なサインを割り出して計上していくには、経験と専門的なノウハウが求められます。現在、川口駅前の再開発プロジェクトである樹モールプラザのロゴ開発と付随するデザインを請け負っています。


六本木ヒルズ駐車場サイン。12ヶ所の駐車場を目的別に案内する誘導システムを構築。誘導から車室の案内、発券表示に至るまで一貫したデザインを展開。

三つ目は医療施設のトータルデザイン。病院の新設事業で、当初はブランディング開発の依頼だったのが、最終的に内装やスタッフツールまで手掛けた事例もあります。大田区の牧田総合病院では、ロゴ、色彩、診察券や職員証、ユニフォーム、ステーショナリー、インテリア、サイン、救急車、広報物、とあらゆるものまで広がっていきました。


仁医会牧田総合病院/受付ロビー吹き抜けのグラフィックは竹内さん自らが描いた。

─ 仕事や日常生活で大切にしていることはなんですか

妥協をしないこと。ここで変更するのはどうかと迷っても、それが間違いないことであれば、無理矢理でも直したほうがいい。常に「これでいいのか」と自分に問うことを繰り返さないと、のちのち「イマイチだな」と感じてしまうこともあるのです。また、人を説得することと、良い仕事は次につながるということも大切に思っています。

頭を空っぽにして街歩きするのが好きで、好奇心の赴くままに、あれこれ自分の中で思い巡らせるのは心のリフレッシュになります。また、体調を整えるためにも、自分のリズムというものを意識し始めたところです。

─ 会長を務める日本デザイン協会(SDA)について教えてください

サインデザインの普及・啓発を目的とした全国組織の協会です。サインデザインは時代とともに、複雑化した都市の仕組みを顕在化するものという認識が持たれてきています。あらゆる領域のデザインに関与するので、UIやDXも含まれると言えるのかもしれない。「利用者にとってわかり易く、環境を整えるデザインとは」という評価の基準となる情報を、SDAが発信できればいいと思います。

─ ムサビの学生へのメッセージ

「のめり込む」経験をたくさんしてほしい。私自身は何をやるかわからず悶々としていたときに、「手伝ってよ」「一緒にやろう」という言葉に動かされ、引きずり回され、のめり込み、結果として自分というものが出来上がってきた気がします。旅でもバイトでも旅行でも勉強でもいいので、一生懸命やったというものを多く蓄積することによって、自分の大切なものが見つかるのではないでしょうか。

編集後記:
「サインがなくてもわかるというのが良い空間だ」という言葉が印象的だった。しかし、そんな空間はどこにあるのか?ダイバーシティ化が進む社会では、サインの期待される役割は増す一方だ。そしてスクラップアンドビルド。社会の発展とともにサインも常に変化し続けていると感じた。まさしく、どんどん広がっていく竹内さんの仕事そのもののように。

取材:大橋デイビッドソン邦子(05通デコミ/グラフィックデザイナー)
ライタープロフィール
名古屋市生まれ。1986年に早稲田大学政治経済学部卒業後、情報通信会社で企業広告、フィランソロピーを担当。その後、米国、パラグアイ、東京に移り住む。2006年に武蔵美通信コミュニケーショデザインコースを卒業後、再び渡米し、2008年よりスミソニアン自然歴史博物館でグラッフィックデザインを担当。2015年より東京在住。
Webサイト:http://www.kunikodesign.com/

撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)

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