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HOME  > 卒業生インタビュー  > No.66 吉田慎司 [中津箒職人/作家]

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No.66 吉田慎司 [中津箒職人/作家]

吉田慎司(よしだ・しんじ)
中津箒職人/作家
(2007年[2006年度]武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業)

1984年生まれ。東京・練馬にて育つ。2007年より株式会社まちづくり山上にて、神奈川県で明治から伝わる中津箒作りを開始。制作、展示会、ワークショップ、講演、執筆などマルチに行う。現在、北海道小樽市を拠点に活動。主な受賞に、第51回ちばてつや賞佳作、9th SICF準グランプリ、2011年より日本民藝館展入選など。LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2017年度匠神奈川代表。2021年度日本民藝館展協会賞受賞。

【スライド写真について】
1. 本人ポートレイト
2. かつての「中津箒」柳川芳弘作
3. 手のひらサイズの中津箒(吉田慎司作)。バリエーションも豊富
4. 取材中の制作風景

プロフィールを見る

箒を通じた社会との対話。暮らしに入り込む、道具作り

─ ムサビに入学した経緯を教えてください。

なんとなく入った高校の美術部が、とにかく楽しかったんです。人数が少なかったこともあり、夏休みは部室を独占して石を彫ったり、ひたすらデッサンを描いたりしていました。予備校にも通いはじめているうちに「そのために浪人しようかな」というくらいハマっちゃって(笑)。その頃から表現できる幅の広い現代アートが好きだったのですが、ムサビの彫刻学科では、音楽、絵、インスタレーション、さまざまな形で表現をしている人がたくさんいました。決められたものを作るよりも「好きなもので表現したい」というのもあったのかもしれないですね。ムサビのおおらかな土壌は自分に合っていました。

─ 大学で夢中になったことを教えてください。

子どもたちと遊びを通して造形教育を研究するサークル「アトリエちびくろ」は、週7で行くほど夢中になっていました。特に自分の中に残っている活動のひとつに、茨城の廃校を借り、子どもたち30人と行う夏の合宿があって。何週間か自然に囲まれた環境のなか、老朽化した施設の水道や屋根、暮らすために必要なものをすべてDIYしたり、地元のおじいちゃんから昔の暮らしを学んだり。自然の中での遊びも含め、「何が楽しいか?」「何がしたいか?」を基準にタイムスケジュールと合宿での『暮らし』を組み立てていきます。

ぼくは大学2年まで、あまり他人と喋らないような人間でした。でも、『暮らし』を作り上げる過程では、相手のことがわかるし、受け入れられるようになる。そうやってみんなと仲良くなると、自分も一人の人間として肯定された感じがするんですよね。自分や他人を信じることを知った場でした。

─ ムサビ在学中から卒業後まで、民俗資料室でアルバイトをされていたと伺いました。民俗学への興味が深まったのはなぜでしょうか?

高校の頃から、現代アートは作品そのものよりも、“それが何を引き起こし、周囲がどう変わるのか”に興味がありました。大雑把な言い方ですが「アートの最終的な目的地は、人が幸せになることなのでは」と学生の頃から思っていて。ただ、好きな表現をするのを肯定する一方で、環境問題や労働問題が溢れる社会の中で、それは自己満足にならないか? という葛藤が常にありました。その問いを放っておけば自分は幸せになることはできない、と感じていたのかもしれません。

そのためか自分の視野はいつも社会に向いていて、在学中はムサビでも教鞭をとっていた民俗学者の宮本 常一さんの教え子である相沢 韶男先生、文化人類学者の関野 吉晴先生からの学びに深く影響されました。海外にはギャラリーや劇場など、アートのための特別な空間で育まれた文化がある一方で、日本は茶室や仏像など、より暮らしにより近いところにもアート文化があるということ。相沢先生の「遠くを見に行くのもいいけれど、まずは自分の物差しを作りなさい」という言葉に、より自分の暮らしに近いものは何かなと考え、民俗学に道を求めていたのだと思います。まずはいろんなことを知ることが必要だと、就職活動は早々に辞め、卒業後も民俗資料室でアルバイトを続けていました。


自作した藁細工(右)と漫画「記録と娯楽 ー娯楽編ー」(左) 写真提供:吉田慎司

─ 今の箒作りにつながる出会いを教えてください。 

民俗資料室で行われていた『箒ノ世界-實用好適 堅固無比-(2007/6/15 – 28)』で、神奈川県愛甲郡愛川町中津で150年ほど前から伝わる箒が展示されていました。ちょうどこの頃、中津の地に箒作りを伝えた柳川常右衛門から6代目にあたる株式会社まちづくり山上の社長が大学院に通っており、この展示に関わっていました。そこでワークショップを体験していたら、かつての柳川商店京都支店の職人だった柳川芳弘さんから「遊びにくるか?」といわれたのが、箒作りをはじめたきっかけです。

中津箒は、材料のホウキモロコシから農薬不使用で自社生産し、製造もすべて職人による手作業で作られているのが特徴のひとつです。折れにくく長持ちさせるためには、穂先や編み込みなど、細やかで精度の高い仕事が求められます。今でも国内で箒を作っている会社は数箇所しかないのですが、地元では“なくなった文化”と思われていました。

当時はまだ「絶対に箒を作りたい」というわけではなかったのですが、昔の暮らしから学ぶものや伝えられることがあると思いました。ちょうど「箒作りを復興させたいが若い作り手がいない」というタイミングだったので、自分が担い手となり、伝えて行くべきだなと。


柳川直子さん(現・株式会社まちづくり山上 代表)や元職人が協力し、中津箒を中心とする展示やワークショップが行われた。写真提供:船川朗博

─ 吉田さんは漫画新人賞である『第51回ちばてつや賞』で佳作を受賞されていて、卒業後はプロの漫画家になる選択肢もあったかと思います。ふたつの選択肢を目の前にした際、箒作りの道を選んだのはなぜでしょうか? 

自分にとっては「大事なことを伝える」ことが表現の目的です。結局それは漫画を描くのも、箒を作るのも同じです。ただ、漫画はメディアを通して広く伝わるけれど読者の顔は見えません。しかし箒は買う人を見ることができて、暮らしに入っていきます。手に取るきっかけは純粋に「かわいい」くらいで良い。それでも道具は一度その人の暮らしに入り込むと、確実にその人の暮らしを変え、何十年もその家にいてくれます。これはすごく意味のあることだと思っていて。自分の絵が100年後に理解されるという世界があってもいい、だけど自分はせっかちだから、伝えたことで何かが変化していく様を今、自分の目で見ていたいと感じています。

─ 現在は東京を離れ、ご家族で北海道小樽市に移住し住居内にアトリエを構えていらっしゃいますね。「暮らし」というキーワードが何度か出てきていますが、自身の暮らしにつながるものはあるのでしょうか?

大学時代にサークルでやっていたことや影響を受けた先生たちからの学びを暮らしの中に落とし込んでいるというのはあるかもしれないですね。この家はもともと水も出ない家でした。最初は札幌から電車で通い、水道を通してお風呂を設置して、それから家族みんなで越してきました。生ゴミの堆肥化やコンポストトイレ、畑の自然農法と間伐、剪定で周囲の放置林を開拓しながら薪を確保しています。

今年は、暖房冷房費0円、燃えるゴミ0も実現できたんです。そうやって仕事も暮らしも、自分が正しいと思うことを突き詰めてきました。最近ではコロナ禍もありましたが、自然に近い暮らしや喜びの多い仕事をやっていると、どんなことが起こっても大丈夫になるんです。箒とは関係ないかもしれないのですが、暮らし方を見直し、提案したい気持ちは共通していると思います。

─  箒の制作だけではなく全国への出展といった方法で、人とのつながりを大切にされているように感じています。

道具を通したつながりは大事ですね。最初に売れた長柄箒のことをよく覚えているのですが、若い夫婦が「長く使える道具を使いたい」と、封筒にお金を入れて持ってきてくれて。それを見て改めて「ちゃんとしたものを作らないと」と強く感じたんです。物の価値は人との関係性で変わって良いものなんじゃないかなと思っています。

例えば、どんなに評価された絵よりも、孫の描いてくれた似顔絵が一番といわれたら、否定できないと思うんです。箒作りでは、その土地に根付いた仕事として、買ってくれる人が近くに感じてくれる存在でいたい。それがぼくにとっての、価値のある仕事なんじゃないかなと。本当に欲しいという人に頼まれる時が、とても幸せです。

─  今後の展望を教えてください。

学んだ暮らし方や表現を突き詰めていきたいです。年の初めに抱負を決めたりしますが、自分の場合は、それがいつも「現状維持」なんです。すでに、やりたいことをやり続けているから(笑)。変わらず技術を鍛えて深めつつ、広げていきたいなと思っています。

─  最後に、学生たちへのメッセージをお願いします。

ムサビには、絵が上手な人や作る人がたくさん集まってきます。そこで評価されることや目立つこともあるし、そうじゃない時もある。目の前に自分の作ったものが欲しいという人がいることに気がつかない時もある。そんな時に大切なのは「自分を信じること」ではないでしょうか。その人が自分で考えていることは、その人にとっては真実で誰にも否定できないことなので、それさえできれば、どこでも、なんでもやっていけるし、間違いないんじゃないかなという気がします。特にSNSが当たり前にある世代の人たちに伝えたいなと思うんです。他人の評価じゃない、あなたは正しいと。

─ 編集後記

「手を動かしていてもいいですか?」と取材中は箒を作りながらお話ししてくださった吉田さん。お話が終わる頃には手元には小さな箒が一つ出来上がっていました。技術だけでなくその生活スタイルまでもが、まるで十年一剣の如く、磨きあげた表現なのかもしれません。ところで、「発酵が好きで(笑)」と出してくださった手作りのビスコッティは、どこで売っていますか? と聞いてしまうほどの美味しさでした。ごちそうさまでした!

取材:細野由季恵(10学視/エディター・ディレクター)
ライタープロフィール
札幌出身、東京在住。フリーランスのWEBエディター/ディレクター。
好きなものは鴨せいろ。「おいどん」という猫を飼っている。

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