「つくり人」が忘れてはならない『不易流行』という言葉を大切にしています
−現在の職に就いた決め手
私は大阪生まれで、小学校6年生のときに見た大阪万博での世界各国のパビリオンに感動して、展示や内装というものにもの凄く興味を持ちました。「インテリアデザイナー」という職業があることを知り、自分も将来インテリアデザイナーになって、こういうモノをつくってみたいと意識しました。ちょうど世の中で「インテリアデザイン」などカタカナ言葉が聞かれるようになった時代です。
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池田和修(いけだ・かずのぶ)
[有限会社アルグレイン代表取締役/インテリアデザイナー 公益社団法人 日本インテリアデザイナー協会(JID)理事長]
1981年度 武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン学科インテリア専攻卒業
プロフィール:
1958年生まれ。大学卒業後、インテリアデザイナーの北原進氏が代表を務める(株)K.I.Dアソシエイツに入社。ホテルのインテリアをはじめ、店舗、オフィス等のサインディスプレー等のデザインに携わる。1996年、(有)アルグレインを設立。シティホテル、リゾートホテル、ビジネスホテルのパブリックエリアや客室における内装、家具、カーペット、ソフトファニシング、備品、サイン、アートワーク等 ホテルデザインを多く手がけている。
http://japan-designers.jp/profile/605/
【スライド写真について】
1. 本人ポートレイト
2.沖縄県宮古島にあるリゾートホテル。1984年開業当時からインテリデザインに携わっている。2006年から2008年にかけて洋食レストランと本館客室をアジアンテイストに改装するのを手掛けた。
3.2009年に開業した500室の中規模ホテル。関西に展開していたホテルチェーンの東京進出の1号店。海外からのゲストを意識して、和のテイストをさりげなく取り入れたモダンデザインに。
4.秋葉原にあるビジネスホテル。円筒形のビルで、客室が扇型プランの為、窓側にビューバスを設けコンパクトな空間を広く感じられる様に工夫されている。
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−現在の職に就いた決め手
私は大阪生まれで、小学校6年生のときに見た大阪万博での世界各国のパビリオンに感動して、展示や内装というものにもの凄く興味を持ちました。「インテリアデザイナー」という職業があることを知り、自分も将来インテリアデザイナーになって、こういうモノをつくってみたいと意識しました。ちょうど世の中で「インテリアデザイン」などカタカナ言葉が聞かれるようになった時代です。
−ムサビに入ったきっかけや、学生時代のエピソードは
高校生のときは、将来インテリアを学ぶためにはどうしたらよいのかを考え、美術部に在籍しました。現役で京都市立芸術大学を受けましたが縁なく、ちょうど浪人生のときに両親が東京に転勤となり、東京の美大予備校へ通うことになりました。多摩美術大学(以下タマビ)のグラフィックとムサビの工芸工業デザインを受け、最後はやはりインテリアをやりたくてムサビに決めました。偶然にも妻はこの年にタマビのグラフィックに入学していて、知り合ってから受験のときどんな問題が出たか、二人で話したりしました。
学生時代はワンダーフォーゲル部に在籍。毎週、7号館の階段を重たい荷物を背負って昇り降りする訓練をしたり、毎月近くの山に登ったり、長期の休みには国内の高い山に挑戦し、屋久島に行ったのもよい思い出です。様々な専攻の学生が集まっていて、とても刺激を受けました。部は2018年で58周年を迎え、昨年に引き続き、市ヶ谷の展示スペースを借りて行われたOB・OG作品展「ムササ美」展に参加するなど、交流も続いています。
愛用の三角スケール。「学生時代のときから使っているもの。金属性のものなど色々試してみたが、やっぱりしっくりくるのはこれだ。角も丸くなってしまっていますが、手放せません。」とモノへの愛着についても、語ってくれた。
−どのような仕事に携わっていますか
大学を卒業後14年間、北原進さんのK.I.Dアソシエイツに勤め、ホテルなど1つの仕事が3年単位でかかるような大きなプロジェクトに携わりました。様々なタイプのホテルのパブリックエリアや、客室の内装、寝具、カーペットなど、ホテルに関わるあらゆるデザインの多くを手がけてきました。独立してからも、改装などを含め主にホテル業界の仕事に携わっています。
−仕事で大切にしていること
「不易流行」という言葉を大切にしています。デザインをするときの理念です。大先輩から良く耳にしていた言葉なのですが、もともとは松尾芭蕉が俳句を詠むときに使っていた言葉です。「不易」とは、ずっと変わらないこと、変えてはならないこと、時を超えた不変の真理。「流行」とは、常に変わっていくこと、変えていかねばならないこと、時代や環境の変化によって革新されていく法則をさします。伝統を守り続けるだけでなく、流行も取り入れていく。「不易」と「流行」を両立させ、そのバランスも大事にするということです。ホテル業界でも、一時期「デザイナーズホテル」という言葉が流行しましたが、流行を追うだけの空間はすぐに飽きられて陳腐化してしまいます。だからこそ、またそこに泊まりたいと思ってもらえるよう、居心地のよさやリラックスできる空間といったものを、インテリアというハードの面からつくっていきたいと考えています。そこには、音、香り、肌触り、視覚など五感に訴えるものが関わっています。
新幹線の駅に直結のビジネスホテル。5階ロビーには大開口部を設け、客室には窓付のユニットバスを設置し広がり感を演出している。
−インテリアデザインとは
私がインテリアデザインに憧れていた大阪万博の時代に比べると、現在のインテリアデザインという概念の認識が少し変わってきてしまったと感じます。本来、インテリアデザイナーの仕事は建物の内装だけでなく、家具や食器など多岐にわたります。今はいろんな業界で専門職が分業化されてきているような状況で、インテリアデザインって何なの?という疑問が増えてきていると思います。そこで日本インテリアデザイナー協会では、「インテリア」を「暮らし」と捉える『暮らしデザイン』を提唱しています。
−日本インテリアデザイナー協会について
1958年に創立、今年で60周年。私と同い年です。「暮らし」という言葉には、人々が安定し、いきいきとした生活が続くという意味合いがあります。住空間、商業空間、働く空間など、暮らしの中にはいろんな場面があり、すべての生活に関わる空間をより良くしていきたいと考えています。デザインの力で物や空間など様々な「モノ」をつくることの大切さを、日本そして世界へ、明日を担う子供たちへ伝え、社会に貢献しています。
−現在旬なこと
質のいい眠りにこだわっています。いろんな寝具がありますが、やはり畳の上に布団を敷くのが日本には合っているようで、ここでも「不易流行」に繋がっているような気がします。布団のカバーなども、抵抗なく寝返りが打てるような素材にこだわって、睡眠の質を上げたいと意識しています。
−美術、デザインの力とは
「人々の暮らしのために」あるのがデザインだと考えています。アートの世界とは少し違い、アーティストは自身で「完成」を決めるのに対し、デザインの分野では使う人がモノの「完成」を決めます。人々が満足するよう、気に入るようにデザインを考えていますが、もし使い手が満足のいかないものだったら、さらに良いデザインを考えなければいけない。また、使う側にも良いもの、悪いものを見極めてほしいとも思っています。そういったことを伝えるのもデザイナーの役割ではないでしょうか。
−夢をかなえるためにひと言
「あきらめないこと」。こうだと思ったことを最後まであきらめないことだと思います。ただし、思い込んだときにはある程度、力を抜くことも大事。そこへ向かう道を一本だと思い込まないで、たまに道をそれたりしてもいい。だけど目標はあきらめないことです。
− 編集後記
池田さんが現在、理事長をされている日本インテリアデザイナー協会(JID)は、日本デザイン振興会(JDP)と共同で毎年5月にデザインイベントを開催しており、2018年には3回目となるそうです。「World Interiors Week in JAPAN」と称して、インテリアデザインと暮らしを考える広範囲な運動を展開。「地方から世界に」というコンセプトのもと、「世界の人々に、東京だけでなく日本各地に興味をもってもらうために、この活動を大きく広げていきたいです!」と池田さん。デザインを通し、日本の未来についてビジョンを熱く語る想いに共感しました。
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