幡 大介(ばん・だいすけ)/本名:小川茂樹(おがわ・しげき)
時代小説家
(1994年[1993年度]武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科卒業)
1968年、栃木県生まれ。1994年、武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科を卒業。テレビ局嘱託職員、CM制作会社に勤務。1995年より文筆業に。2008年、時代小説『天下御免の信十郎 快刀乱麻』でデビュー。主な作品に『天下御免の信十郎』シリーズ、『大江戸三男事件帖』シリーズ(ともに二見書房)、『大富豪同心』シリーズ(双葉社)、『千両役者捕物帳』シリーズ(角川春樹事務所)、『でれすけ忍者』シリーズ、『関八州御用狩り』シリーズ(ともに光文社)など。『猫間地獄のわらべ歌』『股旅探偵 上州呪い村』は、時代小説ながらミステリー界からも高い評価を得た。
【スライド写真について】
1. 本人ポートレート
2. 幡大介『贋の小判に流れ星 大富豪同心(25)』(双葉文庫)。江戸一番の札差・三国屋の末孫で同心株を買い定町廻同心となった卯之吉が、放蕩三昧で得た知識と財力をもって難事件を次々に解決していくさまを描く。2019年、NHKでテレビドラマ化された。https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2019098572SA000/
3. 幡大介『風雲 印旛沼 関八州御用狩り(三)』(光文社文庫)。江戸の町奉行の手が届かない関八州は、悪党の逃避先。そこで彼らを江戸に引き戻すための賞金稼ぎ──追い首たちがいた。旗本三男の白光新三郎、魁偉の大黒主水、追い首の元締めに仕える利吉の個性豊かな3人が繰り広げる、痛快無比の時代小説。
仕事は毎日コツコツ、積み立て貯金のように。
−ムサビを選んだ理由は?
勉強は好きじゃないけれど、高校卒業後にすぐ働くというのも嫌でね。美大、音大、体育大学のうち、合格する可能性が高い美大を目指しました。でも、一浪して入学してみたら、結局アルバイト三昧で。おかげで卒業するのに6年もかかっちゃいました(笑)。
そのころはバブル時期で、毎日のように晴海や幕張で「見本市」が開催されていたんです。空間演出デザイン学科で大掛かりなディスプレイを学んでいる美大生は重宝されて、搬入・搬出のバイトが山のようにあった。夏休みに1カ月みっちり働くと、50万円くらいになる。まず、カメラを買いましたね。あと、当時はダイナブックが100万円、MacBookが150万円くらいしたので、そういった機材もお金を貯めて購入しました。
−卒業後はテレビ局の嘱託社員、CM製作会社勤務を経て、27歳から文筆業に。これはどのような経緯で?
見本市の搬入・搬出のアルバイトには、ミュージシャンや役者の卵、小説家の卵がたくさんいて、いい仕事があると紹介しあっていたんです。あるとき、物書きの卵の人から「実話系怪談を書く」という仕事を紹介されてやってみたのが、文筆業の始まりでした。
……自覚はないんだけど、本はわりと好きだったんでしょうね。小学生のとき、エラリー・クイーンの『エジプトの十字架の秘密』を読んで衝撃を受けた記憶があります。中学にあがってからはSF小説ばかり読んでいました。
−2008年、40歳になる年に時代小説家としてデビューされますが、それまでどんなものを書かれていたのですか。
実は時代劇の脚本家を目指していたんです。当時、時代劇は毎日8時、月曜日から金曜日まで何かしら放送されていて、「時代劇の脚本が書ければ一生安泰」と言われていた。搬入・搬出の肉体労働を続けながら、NHK創作ドラマ大賞やフジテレビヤングシナリオ大賞など、脚本家の新人賞に応募していました。端にも棒にも引っかからなかったけれど……。
ところが、あるころからテレビ業界が時代劇をつくらなくなっちゃって。と同時に、出版業界に文庫描き下ろしの時代小説ブームが起きたんです。つまり、テレビが時代劇を放送しなくなったから、時代劇ファンの人が時代小説を読むようになった。それこそ「出せば売れる」というほどの活況でした。
とはいえ、現代文学や警察小説を書いている小説家は、時代劇や江戸時代について詳しくない。そこで出版社の編集が、時代劇の脚本家名簿を見て手当たり次第に「時代小説、書きませんか?」と声をかけたんですよ。僕も先輩の脚本家から「金になるからお前もやれ」と言われ、書いて出版社に持参したら、ヒョイとデビューできちゃった(笑)。
デビュー作となる、『天下御免の信十郎 快刀乱麻』(二見書房)。二代将軍秀忠の世、秀吉の遺児にして肥後・加藤清正の猶子(養子)、波芝信十郎と大和忍びの鬼蜘蛛は、江戸に到着早々、後水尾天皇に嫁した和子中宮(秀忠の娘)への供物行列を襲う謎の一団に遭遇し……。シリーズ全9冊。
−もともと書いていた時代劇の脚本を小説に直したのですか。
いや、新しい作品です。編集から「隆慶一郎みたいな小説を書いて」と言われたもので……。
隆さんはもともと脚本家(池田一朗)として石原裕次郎主演の『陽のあたる坂道』『赤い波止場』や今村昌平監督の『にあんちゃん』、テレビドラマの『水戸黄門』『鬼平犯科帳』などを書き、60歳を過ぎてから時代小説家に転身したというすごい経歴の方なんです。1989年に亡くなられたのですが、ファンがいまだに大勢いて、「彼のような小説を書けば売れるから!」と。これって新人作家に「三島由紀夫みたいな小説書いて」というような非常識な注文なんですけどね(笑)。
−でもそれで晴れてデビューし、2020年までの12年間に約70冊を出版。『大富豪同心』はNHKでテレビドラマ化もされました。
面白いですよね、自分が書いた台詞を役者が喋っているというのは。現場は2回くらい行きましたが、テレビの撮影現場はとても懐かしくて。搬出の際に手伝おうかなと体がうずうずしました(笑)。
−小説のお話はどのように考えるのですか。
ネタ帳をつくるんです。いまは読者向けの江戸時代のムック本や市区町村の教育委員会が出している資料がたくさんあって、その中に江戸時代に起こっていた変な事件についての記録も多い。“物語の種”みたいなものを、そういう資料から探すわけです。
ネタ帳を1冊書くと、おおよそひとつの物語ができるという。原稿はパソコンで書くが、ネタ帳は手書き。「アウトプットはタイプで構わないんだけど、インプットは手書きじゃないとダメなんですよ」。
−執筆時間は1日どれくらいですか?
8時間もやらないですね。集中しているのは4時間かな。ただし、規則正しく、毎日、無理しない程度にやる。気分が乗っていって続けて書いてしまうと、結局使い物にならないんです。だから時間がきたらやめる。そして毎日コツコツやる。積み立て貯金のようにね。
−最後に、ムサビ生にメッセージをお願いします。
プレゼンテーションのやり方は覚えておいた方がいいと思います。例えば、ファインアートは「いい作品をつくれば誰かが評価してくれる」かもしれないけれど、デザインは「相手が何を求めているか」を理解した上で売り込まなくてはいけない。小説も同じく、映像化を望むのであれば、世の中が何を求めているかを察し、作品へと昇華し、「これを映像化すると素晴らしいことが起こりますよ」というプレゼンテーションができないといけないんです。
例えば、推理作家の内田康夫さんが書かれている「浅見光彦シリーズ」は100作以上ありますが、映像化が不可能な作品が1冊もない。それは内田さんご自身が日本テレビの制作スタッフ、広告代理店のコピーライターを経験していて、テレビの局がドラマとして欲しがっている企画を理解した上で推理小説を書いていたからです。
あとは足で稼ぐことが大事かな。大御所ミステリー作家のM先生も、ネタ集めのためにわざわざ電車に乗り、女子高生や高齢の女性のおしゃべりをじっと聞いているのだそうです。「チリも積もれば」ではないですが、そういう日々の積み重ねを怠らない人が、心に残る作品を生み出すのではないか。刑事さんだって「現場百回」と言って、現場周辺を歩き回るわけでしょ(笑)。やっぱり何か自分なりの発見をしようと思ったら、インターネットに頼らず、足で稼ぐことですよ。
取材:堀 香織(92学油/フリーライター兼編集者)
ライタープロフィール
鎌倉市在住のライター/編集者。雑誌『SWITCH』の編集者を経て、フリーに。『Forbes JAPAN』ほか、各媒体でインタビューを中心に執筆中。単行本のブックライティングに、是枝裕和著『映画を撮りながら考えたこと』、三澤茂計・三澤彩奈著『日本のワインで奇跡を起こす 山梨のブドウ「甲州」が世界の頂点をつかむまで』など。是枝裕和著『希林さんといっしょに。』、桜雪(仮面女子)対談集『ニッポン幸福戦略』などの編集・構成も担当。
https://note.mu/holykaoru/n/ne43d62555801
撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)