msb!

  • msb! infomsb! info
  • msb! magazinemsb! magazine
  • msb! caravanmsb! caravan

Facebook

HOME  > 卒業生インタビュー  > No.53 高橋 毅 [スタイリスト/アートディレクター]

[msb! caravan]

No.53 高橋 毅 [スタイリスト/アートディレクター]

高橋 毅(たかはし・つよし)

スタイリスト/アートディレクター

(1995年[1994年度]武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科卒業) 1973年、東京都生まれ。1995年、武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科を卒業。当時イラストレーター兼コラムニストとして活躍していたリリー・フランキー氏との縁で、スタイリストに。現在は主にミュージシャンや俳優、広告のスタイリングを手がける。またビジュアル制作にも関わり、CDジャケットやアパレルの広告などではアートディレクターとしても活動している。

Webサイト:https://jealousy.jp

【スライド写真について】
1.本人ポートレイト
2.きゃりーぱみゅぱみゅ『ハロウィンライブ』衣装スケッチ画。スケッチは基本、Gペンを使っての手描き。
「大学時代や予備校時代よりも描いている。画力アップを日々のテーマにしています」。
3.平手友梨奈『ダンスの理由』MV衣装スケッチ画1。
4.平手友梨奈『ダンスの理由』MV衣装スケッチ画2。
「デザインだけでなく、激しいダンスに耐えられる装着方法の提案も心がけています」。
5.Candy FoxxのMV衣装スケッチ画。2020年12月に解散した「レペゼン地球」が、
「Candy Foxx」に名を変えて新しいプロジェクトを始動。高橋は海外向けのミュージックビデオ制作に関わっている。

プロフィールを見る

“師匠”のひと言で開けた、スタイリストという人生

−ムサビを目指した理由や、在学中の思い出を教えてください。

勉強が得意ではなく、国語と英語の成績だけはよいという高校生だったので、ムサビ生だった同級生のお兄さんの「絵さえ描ければ美大に入れるよ」という言葉に励まされて目指しました。思い返せば幼稚園のころから絵画教室に通い、小学生のときもGペンを使って漫画を描いていたから、もともと絵は好きではあったんですけどね。その後、一浪して短大の生デに入学。大学への編入を希望していたのだけど、うちは三人兄妹で僕の後に妹がふたり続くから、親が「勘弁してくれ」と(笑)。
在学中は、芸術祭にもサークルにも参加せず、アルバイトもせず、仲間と遊んでばかりでした。授業で印象深かったのは、シナリオ論。実際に脚本を書くことで、ものの考え方を学べたというか。いま、映画やミュージックビデオなどストーリー性のある仕事に関わることが多いので、多少は役立っている気がします。

−卒業してから24歳でスタイリストになるまでは、どのような仕事を?

大学の掲示板に貼られていた衛星放送関連会社の「Macオペレーター募集」の広告を見て、まずはそこに。当時、MacBookは100万円もして、さすがに自分では買えず、朝早くから夜中まで仕事をして、必死に覚えました。
その会社に出入りしていたのが、10歳年上のリリー・フランキーさん(武蔵野美術大学卒業)です。イラストがメインのコラムを執筆されていて、僕は彼のイラストを預かり、スキャニングして着彩する担当になりました。リリーさんは本当に締め切りを守ってくれないんですよ(笑)。だから家までよく取りに行ったのですが、「飲み行こうよ」と連れ出され、家で仮眠させてもらって、翌日の昼にようやく描き出したのを受け取って帰る、というのが恒例でした。
転機は就職して1年半後です。会社が蔵前に引っ越すというので辞めたら、リリーさんが「じゃあうちに遊びに来い」と。それまでと同様にほぼ毎晩飲みに行き、朝方帰ってリリーさんの家で寝て、日中はスーパーファミコンをやったり、ギターのコードや麻雀を覚えたり。完全な居候状態で、気づいたら8カ月が経っていました(笑)。
そんなある日、リリーさんに誘われて撮影に同行したら、スタイリストの河部菜津子さん(武蔵野美術大学卒業)に紹介されたんです。「こいつ、スタイリストになりたいんだって」と。そんなこと、一度も言ったことないのに(笑)。ただ、僕は服がすごく好きで、しょっちゅう原宿で服を買っていたことを覚えていてくれたんですよね。
河部さんからはスタイリストの方を何人か紹介していただき、フリーのアシスタントとして働くようになりました。リリーさんの家で知り合った編集者からも「うちでもどう?」とお声がけいただき、『POPEYE』『Hot-Dog PRESS』『TITLe』のような第一線の雑誌でページを担当させてもらいました。しかも、「リリーさんの弟子なら文章も書けるだろう」と勘違いされ(笑)、ライター兼スタイリストのような仕事がいくつか始まって。それが、スタイリスト人生の第一章ですね。

−ある意味、リリーさんの優しいおせっかいで、人生が大きく動き始めたと。

ええ。リリー・フランキーが師匠というか、「あの人に認められるまでは辞められない」という気持ちがずっとありました。
ただ、雑誌の仕事はすごく楽しいけれど、いまいちピンときていなかった。そんな矢先、父が52歳の若さで亡くなったんです。父は銀座で修行して、20代前半で鉄板焼きレストランを始めた人。「人生は短い。本当に好きなことをやろう」と痛烈に感じ、雑誌のレギュラーをぜんぶやめました。29歳でした。
それで、衣装デザイン画をたくさん描いて、作品撮りを始めたんです。そのころもリリーさんにはよく飲みに連れていってもらって、おかげでレコード会社や芸能関係、アート関係の人が飲み仲間として増え、「今度デビューするアーティストのスタイリングをやって」「うちの俳優に服をつくって」とお声がけしていただきました。

−スタイリスト人生の第2章ですね。雑誌の仕事といちばん違っていたのはどういう点ですか?

雑誌は、既存服に対しての情報を常に追いかけ、付加価値をつけるという表現スタイルだと思っていました。だから、自分のやりたいことがあっても、なかなかファッション誌ではできない。例えばGUCCIの服を着たモデルにUNIQLOの何かを持たせるのはタブー。そういうことにすごく違和感があったんですよね。だったら、自分がやりたいことをゼロからやろうと。
媒体を変え、実際につくってみたら、糸や生地、パターンなど勉強することがどんどん出てきて、すごく面白くなった。しかも、僕がデザインした服を着たアーティストが武道館に登場すると、1万人の人がワーッと歓声をあげる。すごく感動するというか、才能ある方々の望む世界観をともにつくり上げてサポートする楽しさに取り憑かれてしまいました。


きゃりーぱみゅぱみゅ『ハロウィンライブ』のパンフレット。本人とデザイン画を直接やりとりした。

−自分の世界観を衣装で表現でき、稼ぎも安定したのはいつですか。

33歳ぐらいかな。資生堂の原田忠さんという方と15年以上仕事をしているのですが、合間に外国人女性モデルを起用した『ジョジョの奇妙な冒険』の作品撮りを3年半がかりでやっていたんです。できあがると、原田さんが『週刊少年ジャンプ』の編集部にも送って。「ジョジョが好きです」というラブレターのようなものですね。
その後、2013年に資生堂が銀座に本社社屋を建てたのですが、資生堂ギャラリーの初回展示作品を選ぶ際、キュレーション担当者が原田さんの作品群の中からこれを見つけて、「ぜひ展示しよう」という話になった。編集部からもOKをいただけたので、SNSで展示の告知をしたら、反響がものすごく大きくて、CMの仕事が一気に増えたんです。本当にガラリと変わりました。


資生堂花椿ホールのオープニングで発表した作品。「外国人女性をモデルにすることでファッション感を出し、シルエットを重視してフェティッシュな雰囲気に仕上げています」。 『原田忠全部(女性モード)』収録作品 原作「ジョジョの奇妙な冒険」荒木飛呂彦(集英社ジャンプ コミックス刊) ©︎LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社

−最近試みていることはありますか?

大友克洋さんの『AKIRA』をひたすら模写しています。アングルとかパースとか本当に勉強になる。服飾デザイナーの絵ってモデルの顔が米粒みたいで、服もデフォルメされて描かれていることが多くて、生産管理の人が実際の服にしようとしても、デザイナーに「違う」と突っ返されることが多いんです。その二度手間を避けたくて、僕は自分の描いたデザイン画がそのまま指示書として使えるよう、漫画っぽい絵で描いています。学生時代にはやっていなかったことなので、楽しいです。


(左)10年以上かけて100枚以上集めたAKIRAのTシャツ。撮影現場で必ず着ている理由は「モデルからの反応がよく、100人以上が関わるCM撮影でも遠目に自分のことを“AKIRAのおじさん”と認識されて、仕事がしやすいから」とのこと。(右)神保町の古本屋などでヤングマガジン掲載時のAKIRAを集めてファイリングしている。

−今後の展望は?

でかいことを言うと、「石岡瑛子を超えろ!」です(笑)。石岡瑛子さんは40代でニューヨークに移り住み、映画や演劇のセットデザインや衣装デザインなどを手掛けて、アカデミー衣装デザイン賞やグラミー賞などを受賞されました。僕は海外を居住地にするつもりはいまのところないけれど、アメリカのフィルムディレクターなどに自分の作品を送ったりして、その反応をひたすら待っています。

−最後に、ムサビ生にメッセージをお願いします。

僕のアイデンティティは「意外性」なのですが、そういう“自分らしさ”を学生時代に見つけられたらいいのではないかな……。やはり学生時代にいかにいろんなものに触れているかが勝負ですね。その結果、選択肢が増えるし、選択肢はあればあるほどいい。失敗しても次が選べるから。アートや芝居などを見に行くのはもちろん、夜遊びも精一杯やればいいし、何か少しでも気になるならインターンに申し込んでみて、第一線で活躍する大人たちの中に飛び込んでみたらいいと思う。きっかけを自分から取りに行かないと、何事も始まりませんからね。

取材: 香織92学油/フリーランスライター兼編集者)
ライタープロフィール
鎌倉市在住のライター/編集者。雑誌『SWITCH』の編集者を経て、フリーに。『Forbes JAPAN』ほか、各媒体でインタビューを中心に執筆中。単行本のブックライティングに、是枝裕和著『映画を撮りながら考えたこと』、三澤茂計・三澤彩奈著『日本のワインで奇跡を起こす 山梨のブドウ「甲州」が世界の頂点をつかむまで』など。是枝裕和著『希林さんといっしょに。』、桜雪(仮面女子)対談集『ニッポン幸福戦略』などの編集・構成も担当。
https://note.mu/holykaoru/n/ne43d62555801

撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)

続きを見る

msb! caravanアーカイブ

  • No.67 谷 充代 [執筆家]

    No.67 谷 充代 [執筆家]

  • No.66 吉田慎司 [中津箒職人/作家]

    No.66 吉田慎司 [中津箒職人/作家]

  • No.65  竹内 誠[(公社)日本サインデザイン協会会長/(株)竹内デザイン代表取締役]

    No.65 竹内 誠[(公社)日本サインデザイン協会会長/(株)竹内デザイン代表取締役]

  • No.64  森影里美<br>[もりかげ商店]

    No.64 森影里美
    [もりかげ商店]

  • No.63  早川克美<br>[京都芸術大学教授/F.PLUS代表]

    No.63 早川克美
    [京都芸術大学教授/F.PLUS代表]

  • No.62  藤本 新子<br>[草月流師範会理事]

    No.62 藤本 新子
    [草月流師範会理事]

  • No.61  風間 天心<br>[アーティスト・僧侶・美術教員]

    No.61 風間 天心
    [アーティスト・僧侶・美術教員]

  • No.60  大畠 雅人<br>[フリーランス原型師]

    No.60 大畠 雅人
    [フリーランス原型師]

  • No.59  宇野 純一 <br>[テレビ美術デザイナー]

    No.59 宇野 純一
    [テレビ美術デザイナー]

  • No.58  坂口 佳奈 <br>[画家・木祖村地域おこし協力隊隊員]

    No.58 坂口 佳奈
    [画家・木祖村地域おこし協力隊隊員]