河合 奈津子(かわい・なつこ)
BAL’s代表
(2007年[2006年度]武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科卒業)
1984年、東京都出身。2007年、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科を卒業。複数のアパレルブランドで雑貨やアクセサリーのデザイン、カタログ編集を経たのち、2015年4月、夫の赴任先のカンボジアに同行。2018年、「バッグの作り手であるカンボジアの女性たちの生活がよりよくなるように、日本のお客様とカンボジアの作り手がバッグを通じてつながるように」との思いで、BAL’sを創業。現在、厳選した布を材料にバッグやマスクをはじめさまざまなファッションアイテムを製作・販売している。オンラインショップでも購入可能。
Webサイト:https://www.bals-cambodia.com
【スライド写真について】
1 ポートレート
2 カンボジアのファブリックで製作したバッグ
3 カンボジアのファブリックで製作したポーチ
4 カンボジアの市場でファブリックを真剣に選ぶ
5 女性の職人といっしょに
夫の赴任先カンボジアで、布に惚れ、人に惚れた。
−美大に入ろうと思ったきっかけは?
子どものころから絵は好きでした。高校生になってからは海外の雑誌や日本のファッション誌をよく見ていて、グラフィックデザインを大学で勉強したいなと思うようになり、受験しました。
両親の反対はなかったですね。母親も音楽関係の仕事でしたし、芸術に理解のある両親で。フランスに一時期住んでいて、私も向こうで生まれたんです。3歳で帰国したのでまったく覚えていませんが、親がフランスで収集した版画や美術品などがたくさんある家でした。
−ムサビで印象に残った授業は?
3年次の長澤忠徳先生の授業だったか、ブランドを企画するグループワークをしたのを覚えています。化粧品ブランドのコンセプトをみんなで考えて、確か商品やパッケージをつくったのではないかな。そういう授業がいまに活きているかもしれません。イメージを形にするのがこのころから好きでした。
−将来の方向性が、学生時代に決まりかけていた?
そうかもしれないですね。最初は雑誌のデザインに興味があったけれど、そうやって頭の中のイメージを具現化するうち、モノをつくる方が自分には合っているのかなと。
卒業後はSTRAWBERRY-FIELDSというアパレルブランドに入社し、雑貨やアクセサリーのデザインをしていました。大量のデザイン画のノルマに追われる日々に「このまま続けていいのだろうか」という思いが募り、2011年の震災直前に辞めました。
もちろん、学べたことは多いです。入社直後は店頭に立って商品を売るという決まりで、そのときの販売の経験もいまに活きている。また、会社ではいろんな部署を経て、ひとつの商品がつくられる、その流れを知ることができたのもよかったです。
−その後はどのように?
何を血迷ったか、ネイルの学校に行ったんです(笑)。ずっと会社員だったので、独立して仕事をしている人が自由で羨ましいなと漠然と思っていて。ハローワークで見つけた職業訓練校で、約2カ月、朝から晩まで毎日通いました。私が20代でいちばん下。クラスメートは30代、40代、50代と10歳ずつ違っていて、毎日練習しあったりするのが塾の夏季講習みたいでとても楽しかったです。
その後、2013年の夏に別のアパレルブランドのカタログ編集部に入社。2014年に結婚し、翌年、夫の赴任先であるカンボジアに行くことになり、退職しました。夫は公立小学校の先生で、海外の教員派遣制度に応募したのです。任期は3年。たまたまですが、JICA(独立行政法人国際協力機構)で働いていた父が、長くベトナムとインドネシアに単身赴任をしていたので、小学生の夏休みはそちらで過ごしていました。カンボジア行きが決まって、「東南アジアに縁があるんだな」と感じましたね。
BAL’s は実店舗をもたず、イベントや商業施設で展示会など行う。写真は埼玉県の「アトレ川越」ポップアップショップ
−カンボジアではどのように過ごされましたか。
ビザの関係で家族は仕事をしてはいけないという厳しいルールがあり、同じ立場の女性は習い事やお子さんの活動で忙しくされていました。時間をもてあました私は、まずは友達をつくろうと、日本人家族の集まりに出かけた。そのときにネイルがかなり役に立ちましたね(笑)。お礼に何かくださったりして、ちょっとした物々交換みたいな。
それからしばらくして、市場にひとりで通うようになりました。カンボジアでは、普段着でも市場のミシンを持っているおばちゃんに仕立ててもらいます。あざやかな色や珍しい柄の布を売っている店があって、最初は自分の服をオーダーしました。
滞在2年目には、バッグもつくるようになりました。デザイン画を持参して「この布でつくって」というと、ひとつからでもつくってくれるんです。それがわりと友達に評判がよくて、「私にもつくってほしい」とお願いされるようになりました。帰国の際にお世話になった人たちにプレゼントを配るのが定例なのですが、「ミトンを数十個つくりたい」というので、一緒にデザインを考えたことも。
アパレルメーカーにいたときは自分でデザインを考えても、次はいきなり完成された商品になっている。カンボジアだと、おばちゃんが縫っているそばで「裏地はこうしたいんだけどできる?」「素材はこういう生地でも縫える?」などと聞けるのも楽しかったですね。
そんな感じで、ある時点から私がすごくのめり込んでいたので、夫から「そんなに評判がいいなら、目一杯つくって、日本で売れば?」と言われたんです。とはいえカンボジアにいながらだと始められないから、最後の1年は「日本で売るぞ!」と決めて、準備していました。
−日本の布地ではなくカンボジアの布地でバッグをつくって日本で売る、と決めたわけですね。惚れたのは布地ですか、カンボジアのおばちゃんたちですか?
両方ですね。布もすごく素敵だし、自分のつくりたいモノをすぐさま形にしてくれる技術のある人たちがいる、その環境が素晴らしかった。
カンボジアの職人と新作の打ち合わせ
−2018年に帰国し、仕事を始めて3年。やりがいや苦労は何ですか。
例えばバッグの柄のあざやかさや、持つと気分が明るくなるということがお客様に伝わると、とても嬉しいです。
苦労は、売る場所を開拓すること。実店舗をもつのは、いまの私にはハードルが高すぎるので、現在はオンラインショップや、駅ビルや商業施設で期間限定のポップアップショップを出しています。
売り始めてからわかったのですが、想定の客層とぜんぜん違いました。買ってくださるのは自分よりずっと大人の女性ばかり。花柄やあざやかな色が好みなのかもしれないし、布製で軽いところが喜ばれているのかもしれません。カンボジア製だから「現地の女性たちの支援にもなっているのね」と言ってくださる方もいて、心強いです。
−新型コロナウイルス蔓延の影響はありましたか。
はい。昨年は半年ほどまったく出店できませんでした。でも、カンボジア側も仕事がないと言っていたので、昨年5月くらいにカンボジアシルクのマスクの製作をオーダーしました。売り始めたのは6月末。布マスクはすでに出回っていたのでどうかなと思ったけれど、シルク製で手ごろなものが目新しかったようで、とても喜ばれました。生地は、村で手織りされた質のいいものなんです。サテンではなくオーガンジーだから、値段もそれほど上げなくても大丈夫ですしね。
シルク・マスクは現在もオンラインで販売中
コロナ禍以前は、カンボジアは年に2回ほど通っていました。市場で生地をごっそり買って、取り置きしてもらうのです。コロナ禍になってからは、デザイン画や写真はすべてLINEでやりとりしていました。カンボジアの人は、生活は質素ですが、スマートフォンはみんな持っています。LINEがなかったら、コロナ禍は何もできなかったかもしれない(笑)。マスクも一時しのぎのつもりでしたが、いまは主力商品になりました。
−今後の展望は?
いつかはカンボジアで工房を併設した店をつくりたいです。現在の私の規模では縫い子さんの雇用や生活保証までできないけれど、いつかは店をもって彼女たちを直接支援してあげられるようになりたい。工房があれば、先輩がいて、バッグをひとりで最後まで縫えるように教育してくれますし。
あと、カンボジアの人って心を開いてくれるまで時間がかかるんです。私は日本人であり日本在住で、生活環境がまったく違うというのは、私が思っている以上に彼女たちが感じている。仕事はすごく真面目だけど、生活のために縫っているという感じなので、あなたのつくったバッグが日本でこんなに喜ばれている、素敵だと思われているというのを伝えたいです。
ファブリックトート。バッグと同柄のヤモリのバッグチャームが洒落ている
−最後にムサビにいる学生にアドバイスをお願いします。
私もまだ道半ばなのであまり気の利いたことは言えないんですけど……(笑)。
昔からファッションが好きで、それがいまの人生の軸になっているのは間違いないと思います。アパレル、ネイル、カタログ編集と、いろんなところに手を出したけれど、結果的にすべてが繋がっている感じがする。だから、無意識に自分が好きと思っていることや自らの直感を信じて動けばいいと思います。好きなものに忠実に進んでいけば、道が開けるのではないでしょうか。
取材:堀 香織(92学油/フリーランスライター兼編集者)
ライタープロフィール
鎌倉市在住のライター/編集者。雑誌『SWITCH』の編集者を経て、フリーに。『Forbes JAPAN』ほか、各媒体でインタビューを中心に執筆中。単行本のブックライティングに、是枝裕和著『映画を撮りながら考えたこと』、三澤茂計・三澤彩奈著『日本のワインで奇跡を起こす 山梨のブドウ「甲州」が世界の頂点をつかむまで』など。是枝裕和著『希林さんといっしょに。』、桜雪(仮面女子)対談集『ニッポン幸福戦略』などの編集・構成も担当。
https://note.mu/holykaoru/n/ne43d62555801
撮影:野崎航正(09学映/フォトグラファー)