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No.70 中川 亮[ゲーム・プロデューサー]

中川 亮(なかがわ・りょう)
ゲーム・プロデューサー(※)
(2008年[2007年度]武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業)

静岡県出身。武蔵野美術大学映像学科を卒業後、都内のCG制作会社に就職。3DCGアーティストとしてのキャリアを経た後、ゲーム開発および3Dアート制作会社Virtuos(ヴァーチャス)に入社。アート部門のアシスタント・プロデューサーとして、3Dキャラクターモデリングや3Dの背景モデリング、キャラクターアニメーションやコンセプトアートのマネジメントを担当。その後、ゲーム部門に異動し、アシスタント・ゲーム・プロデューサーとして複数の人気ゲームタイトルのプラットフォーム移植プロジェクトに携わる。2020年よりゲームプロデューサーとしてプロジェクトを指揮。

※プロデューサーという肩書について…開発のラインを見る役割のため、日本ではプロジェクトマネージャーのほうがより近いイメージ

【スライド写真について】
1. 本人ポートレート
2. 携わったゲームのタイトルが並ぶオフィスの一角
3. 会社のグッズ
4. 日本支社のオフィスが入る、神田のビル
5. 上海オフィスの様子

プロフィールを見る

CGアーティストからの挑戦。作ることとの関わり方は、ひとつではない

─ 大学時代の思い出は?

サークルの劇団むさびでは、裏方として音響や宣伝美術を担当し、ポスターやフライヤーをデザインしていました。次第に広告の世界にも興味が湧いていき、広告デザインと映像の間にはなにがあるのか? と考えはじめました。そこで映画よりも尺が短く、デザイン性のあるCMやミュージックビデオもいいなと興味を持ったのが、CG(コンピューター・グラフィックス)の世界に足を踏み入れるきっかけでした。

朝から晩まで学校にて、必要な単位より多くの授業を履修したり、週末は美術館に足を運んだりと、良くも悪くもいろんな分野に手を出していましたが、ムサビはそういったさまざまな挑戦ができる機会に恵まれている場所だと思います。

─ 高校は、南オーストラリア州アデレードへ留学し、その後現地のカレッジでビジネスを学んでいたとのことですが、ムサビ在学中の中川さんにどのような影響を与えましたか。

今になって思えば、いつも物事を俯瞰的に見ていたかなと思います。ひとつのプロジェクトに対して、どれだけのお金や労力がかかっているか。そういう視点は常に持っていたかもしれないですね。

─ 卒業後は、3DCGアーティスト(※1)として日本の企業で働かれていたそうですね。

はい、ただ僕の就職活動は、全然うまくいかなかったんです。複数回の面接を経て手応えを感じても採用されないなど思うようにいかず、億劫になっていました。

最終的に、CG関連の企業が提供するインターンシッププログラムに参加することにしたんです。映画やゲームで使用されるCGモデル(※2)やコンテンツの制作を担当して、学びながら実務を経験し給与も支給される、というものです。1年間のインターンシップを終えた後は、複数の制作会社に在籍し、ゲームや映画に使われるさまざまなCG制作に携わっていました。

※1:3DCGアーティストもしくは3DCGジェネラリスト…スタジオや会社によってどちらの呼称も使われる。キャラクターや背景、アニメーション、合成など、幅広い制作作業を担当。3DCGアーティストは、特定の分野だけではなく、複数の分野で技術を持ち、さまざまな作業をこなせる能力が求められる。

※2:CGモデル…CGの技術を使って制作された立体的な絵や画像、動画のこと

─ 映像制作の分野は多岐に渡りますね。働きながらの技術の習得は、簡単なことではないかと思います。

確かにゲームに使われるCGと映画に使われるCGは、全く異なる内容でそれぞれの技術やテクニックが求められます。でも基本的な原理やベースとなる部分は、共通していますね。

当時の僕は、とにかく必死で。やればやるほど技術も上手く早くなるので、若さを武器に会社に寝泊まりするような残業も珍しくありませんでした。

今は法改正で就労規則を守らないといけません。でも、僕が経験した時代は違っていて。恐ろしいなと思う反面、その頃作られた日本のゲームはかなり勢いがありました。現在も、その勢いを維持している部分はありますが、海外のゲームにかなわない部分も出てきています。

重要なのは、限られた時間の中でどれだけ熱中して作業するかということ。それによって、クオリティも大きく変わってきます。この考え方って、美大生の頃に培われていたものだと思っているんです。最大限の成果を出すために時間をフルに活用したいという姿勢は、僕たち作り手にとってそれほど違和感のないものかもしれません。

─ 現在の会社Virtuos(ヴァーチャス)に入社後は3DCGアーティストから一転、プロデューサーとして、いわばプロジェクトの指揮をとるポジションにいらっしゃいますね。入社までの経緯を教えてください。

この会社に決めた理由のひとつに、3DCGアーティストからジョブチェンジしたいという希望があって。3DCGアーティストとしてアーティスト性を発揮する人もいますが、僕はどちらかというと仕様書通りに作る作業者でした。働いているうちに、黙々と仕事をするというよりも、対外的にコミュニケーションをする方が合っていそうだなと感じるようになったんです。それにVirtuosの拠点は中国で、社長はフランス人。働いているメンバーにもさまざまな国の人がいて、高校時代の留学経験も活かせると感じました。

それまでの僕は「ムサビを出たからには、自分で手を動かすことにこだわりたい」と思っていたんです。でも、当時在籍していた会社の先輩プロデューサーが「(プロデューサー業は)自分で作っているという感触もあるし、達成感もすごくあるよ」と言ってくれたんです。彼はとてもかっこいい人で、よく話をして、僕自身とても影響を受けました。


現在は、昔のゲームを最新のゲーム機で遊べるようにするというといったプロジェクトがVirtuosの仕事の大半をしめる。「映像を高解像度化して、現代のマシーンで快適に遊べるようにすることも得意としているんです」

─ 入社が決まったあとは、中国にある会社に渡られましたね。そこでは、どのようなお仕事をされたのでしょうか。

当時Virtuosのビジネスは、ゲームやハリウッド映画のアート制作(※3)と開発(※4)の2本柱でした。入社後はアシスタントアートプロデューサーとして、制作チームのマネジメントや対外のコミュニケーションも任されていました。例えば、某大手さんから発売されているサッカーゲームのプロジェクトでは、スタジアムを作って欲しいという依頼を受けました。僕は、工数や予算を把握してクライアントと合意を取り、プロジェクトのリーダーとしてチームと連携し、納品まで進捗管理を担当します。こうした業務を約2年間続けました。

その後は、会社も戦略的に開発へ力を入れることになり、当然僕もその方向にシフトしました。それからは肩書きもアートプロデューサー、そしてゲームプロデューサーに変わり、案件の規模も責任も大きくなって。自分が先頭に立ち、ひとつのプロジェクトを終わらせるという役割を担いました。

※3:アート制作…アート制作は、キャラクターモデルや背景、コンセプトアートなど、視覚的な要素を部分的に作ること。

※4:開発…アート制作やプログラミングも含め、ゲーム全体を作り上げる大規模なプロジェクトのこと。

─ 2024年1月からは日本支社ができたと伺っています。約12年間中国でのお仕事をされ、日本に戻られた今、今後の展望を教えてください。

現在、会社全体では約3,600人の従業員がいますが、日本のスタジオはまだ4人しかいない小さな組織です。アート制作・開発の拠点は中国をはじめ、海外にありますが、日本でも制作ができる人材を採用して、マネジメント体制も整えたいと考えています。最終的には、海外の会社でありながら、日本でもしっかりと制作を行えるようになることが僕の願いです。


東京オフィス(グループ会社全体ミーティング用ビデオ)

─ 技術者が身近にいる環境は、中川さんにとって、どのような刺激を受けますか。

自分が手を動かさなくなった今でも、誰かが手を動かしている姿を見ていたいんです。リスペクトもあるし、その時の制作トレンドについていきたいからということもあります。今では、YouTubeやWEBサイトを通して知ることもできるけど、実際に自分の近くで見て、得られる情報には説得力がありますよね。

僕の仕事で大切なのは、月並みな言い方ですがコミュニケーション能力です。ゲーム開発には、UI(ユーザーインターフェース)やサウンド部門、さまざまな部署のメンバーが関わります。技術的に深い話ではなく、だれが何をやるべきか、専門分野が違う人同士でも話ができる力が必要です。

─ 最後に、学生へのメッセージをお願いします。

特定の分野に進みたいと思ったときに、どれだけハードルが高くても必ず道はあるなと思うんです。だから、やりたい分野があればとりあえずやる、という行動力があるといいのかなと。僕も今は恵まれた環境にいますが、卒業してからの数年間はどれだけ残業しても給料が安く、家賃や光熱費だけで精一杯という経験もしました。決して順調だったとはいえない。でも今はこれまでにやってきた点と点が、やっとつながってきたなって思うんです。


昨年2023年の東京ゲームショウにて、プロモーション用会場ブース


中国オフィスでの、同僚たちとの一枚

編集後記:
進むべき道が見えなくなった時、全てを諦めざるを得ないような絶望感に襲われることがあった。そんな時は柔軟に視点を変えることさえできれば、案外、新たな道筋がそばにあったり。「人生に無駄な経験はない」という言葉は、頭では理解していても、実感を伴うことは難しい。しかし、中川さんが飾らずに語ってくださった経験談は、まさにこの言葉の真実性を裏付ける証左だなと感じる。

取材:細野由季恵(10学視/エディター・ディレクター)
ライタープロフィール
札幌出身、東京在住。フリーランスのWEBエディター/ディレクター。
好きなものは鴨せいろ。「おいどん」という猫を飼っている。

撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)

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