池田 咲(いけだ・さき)
健康キャリア実践家・ウェルネスサロン経営・国家資格キャリアコンサルタント
(2014年[2013年度]武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業)
神奈川県藤沢市生まれ。神奈川県立茅ヶ崎北陵高校出身。武蔵野美術大学を卒業後、国際線客室乗務員(CA)として働く。ヨガとの出会いは就職前、オーストラリアに住む姉とホットヨガに行ったこと。仕事をしながら世界中のヨガを体験して興味が強まり、2018年にインドに1ヶ月間ヨガ留学して資格を取得。その後は大手ベンチャー企業でキャリアドバイザーとして転職の支援に携わる。28歳のときにインド移住を決意したものの、コロナウィルスの影響で渡印が不可能になり断念。半年間無職のあとITコンサル企業に再就職。2022年から本格的にヨガインストラクターとしての活動を開始し、翌年にフリーランスに転身。「一人ひとりの心身の健康を基盤に、幸せを創造する」というミッションの上、ウェルネスとキャリアの2軸で事業を展開する “健康キャリア実践家”となる。2024年10月に渋谷区代々木上原に「Wellness Hub TOKYO」を開設。サロンの経営、ヨガの講師を務める一方、奨学財団職員としても活動中。ヨガインストラクターの持続可能なキャリア形成のあり方にも関心を持つ。
Webサイト:https://wellnesshubtokyo.com/
【スライド写真について】
1. 本人ポートレート
2. 恩師ジュリヤ先生とシンガポール視察旅行(2013)
3.第9回ACジャパン(2013)CM学生賞・優秀賞を受賞
https://www.youtube.com/watch?v=H41LwQzSB0o
4. インドヨガ留学(2018)
5. ヨガ鳩のポーズ
心身の健康を基盤に、一人ひとりの幸せを創造する
─ ムサビを選んだ理由をお聞かせください。
もともとアート志向だったわけではなく、子供時代は外遊びが好きなおてんばで、小学生から高校生までテニスをしていました。小さい頃から大の負けず嫌いで、成績や運動会の結果などの数字や順位にこだわる性格でした。ところが進学校の高校に入ったものの、成績は最下位で勉強嫌いのスランプに。たまたま相談した美術の先生から「美大受験なら受験科目が少ない」し、「デザイン科を出たら広告制作やパッケージデザインなどの仕事がある」と聞きました。勉強範囲が少なくてすみ、就職先も困らなさそうと、ややネガティブで恥ずかしい動機ですが、美術大学への進学を考えるようになったのです。

それからデザイン関連の本を読んだり、美大受験向けアトリエに通ったりしました。その中で心に刺さったのが、ナガオケンメイさんの言葉で「“つくらない”ということも1つのデザイナーの仕事」。ムサビのオープンキャンパスでソーシャルデザインのような「人を繋ぐデザイン」という概念の学びができそうだとわかりました。そこから直観的に「視デ(視覚伝達デザイン学科)を目指そう」と決意したのです。
― 学生時代の思い出をお聞かせください。
「ずっとものを作る」という状況についていけず、辛いときもありました。しかも自分の作品の出来は悪く、周りの人はずっと才能があるように見えて、デザイナーになることへの不安が募る一方。2年生になり「時間や思考の全てをデザイン制作に向けるほどの情熱がない」ことを自覚。一般大学へ移ろうかと悩みましたが、美大からの編入は容易ではないことがわかり落胆していました。

転機は東日本大震災の翌年、3年時のキュー・ジュリヤ先生のソーシャルデザインでした。授業内容は「デザインの力で人の悩みを解決する」というもの。テーマは与えられずに課題は「現地の人々が何に困っているかを見出し、自分達の力で何ができるかを考えなさい」。自費で夜行バスと鈍行電車を乗り継いで宮城県の被災地に通いました。アポ無しで仮設住宅や商店を訪ねて話を聞き、復興状況を調査するフィールドワークをもとに自分たちのできることをチームで探ったのです。地元の人から「写真や物だけでなく、景色も全部流されてしまって、1年たった今、それらが記憶から消えようとしている」という話を聞きました。そこで、人々の思い出や景色を描き起こして、毎年使える木製カレンダーを作ることにしたのです。子供達が遊べるように工夫された立体カレンダーはコミュニティハウスに設置されました。この時の私の主な役割は現地の人とコミュニケーションしたり、アイデアを出したり、買い出しに行ったりで、絵を描く担当ではなかったのですけれど(笑)。でも、“ものを作らない”自分にも心地のよい居場所があったのはよかった。

石巻コミュニティハウスに設置されたカレンダー(2013)
─ ムサビの卒業生で航空会社の客室乗務員(CA)になったというのは非常に珍しいですね。
おそらくほとんどいないでしょうね。就活は「デザイナーになるのが正解」みたいな雰囲気の中、「自分の進む道はデザイナーではない」と割り切って一般職を探しました。アドバイスを聞ける人もいなかったので、ありとあらゆる業界に応募し毎日のように面接。でも身近にライバルがいなかったので、一人のびのび模索できて就活は楽しかったです。
美大生は書類選考で落とされるケースも多いだろうと想像したのですが、ANAは書類選考なしで面談するというのを知り、それならいけるかもと。CA希望だったわけではなく、化粧品メーカーや百貨店、IT企業などを受け、いくつか内定をもらいましたが、今しかできないことをやろうと思い、新卒採用枠が大きいCAの仕事を選択。卒業後不得意の英語も、フィリピンのスパルタ式英語学校で2ヶ月間みっちり勉強してから7月に入社しました。

フィリピンでの語学留学(2014)
― ANA、シンガポール航空でのCAの仕事はいかがでしたか?
ムサビではディスカッションの機会も多く、自分の意見を持ち、それを交わし合うことがよしとされていたけれど、真逆でした。マニュアル通りに動くことが基本でなんだか窮屈な感じで。大学時代「自分とは?」をよく考えていたのに、段々と「みんなと同じでいること」「正解を求めて行動する自分」に違和感を覚えるようになりました。
入社2年目、長年の同調圧力によってできた非公式の社内ルールで納得いかないことがあり、多くの人が不要であると認識していることも分かったのでグループ長にルールを撤廃するように求めに行きました。今思えば、入社2年目で生意気な提案だったと言えるのですが、当時は「問題があるのであれば解決するのが当たり前」だと思っていました。これはムサビで学んだことかもしれません。でも、実際には変わらない。周囲の同僚の反応も「変わらないのはしょうがないよね」。解決しようと思えばすぐにできることを「しょうがない」で片付けてしまうことにもどかしさを感じてました。
そんなモヤモヤした2年目を過ごしている時に、シンガポール航空の求人を見つけて、応募することにしました。日本人に比べれば、白黒はっきりした方が多いシンガポール人と働くことは私にはあっていたし、温暖なシンガポールでの生活は楽しかったです。2年間働いたあと、新しい職種にチャレンジするために帰国しました。

シンガポール航空、CAラストフライト(2018)
― その後、2回転職していますね。会社員を経てヨガインストラクターになった経緯を教えてください。
世界中でヨガを体験していたのでヨガへの興味が高まり、どうしてもインドに行きたくなりました。そこで内定をもらったベンチャーの人材会社と交渉して入社を半年待ってもらい、インド北部のリシュケシュにあるヨガスクールに1ヶ月間留学し、全米ヨガアライアンスRYT200の資格を取りました。

インドへのヨガ留学(2018)
人材会社ではキャリアアドバイザーとして転職の支援を担当しました。ヨガの学びを通じて「体が資本」と体感していたのに、朝から夜遅くまでパソコンの前で、健康を切り崩しながら仕事をする日々。営業成績をあげてMVPとなり周囲から称賛されても嬉しくなく、達成感も感じられない。学びは多くいい会社ではあったけれども、自分の考えとのギャップに葛藤していました。

キャリアアドバイザーとして働いていたころ(2019)
1年半たった28歳のころ、「インドに行きヨガをもっと勉強したい、インドで仕事がしたい」との思いがあふれ、再び仕事探し。インドの現地法人から内定をもらったものの、ビザの手続き途中にコロナウィルスが勃発し、やむなく渡印を断念。半年間の空白を経て、インド人の経営するITコンサル会社に就職しました。
コンサル会社では良い上司に恵まれ、就労条件も給料も非常によかったのにもかかわらず、今までで一番辛かった。不満はないはずなのに「私は何をしているのだろう」とモヤモヤした気持ちが拭えなかった。そこで「本当に自分のやりたい仕事は?」と自問。人の健康に関心があり、人の笑顔に接することにやりがいを感じていたと気づいたのです。
それで勤務日を週3日に減らし、残りの日にフリーランスでヨガインストラクター活動を開始。翌年、31歳のときに健康キャリア実践家として独立し、昨年6月に代々木上原に「Wellness Hub TOKYO」をオープンしました。このサロンではヨガ、ピラティス、ヘッドマッサージ、よもぎ蒸しを通じて、「疲れを癒し、コンディションを整える場所」を提供しています。

ヨガイベントにインストラクターとして参加(2022)
― ヨガに出会ってどのような影響を受けましたか?
突き詰めていくと精神的なところにたどり着きます。CAの仕事は日に何百人と喋るので疲弊感が残り、シンガポールにいる時はヨガばかりしていました。ヨガをしていると、何にイライラしていたか、何を悲しく思ったかなど自分の感情を内省することができ、負の感情が浄化されていくように感じるのです。ヨガを深く学べば学ぶほど、日常でもヨガでの気づきを思い出して、感情と呼吸を一緒にコントロールできるようになりました。

― 2024年10月、代々木上原に「Wellness Hub TOKYO」をオープンしました。サロンのコンセプトを教えてください。
「心身の健康を基盤に」を事業のミッションとしています。どんな生き方をしようともどんな夢を持とうとも、心身の健康がなければうまくいきません。このサロンは「疲れた自分は手放す」場所。職種も年齢も異なる人たちとつながり、心と体に向き合う時間を過ごすことで、心身のコンディションを整えて心地よさを取り戻して欲しいと願っています。

Wellness Hub TOKYO でのヨガレッスン(2024)
― ムサビに在学したことと今の自分と関連づけられることは?
ムサビにいかなかったらこの人生を歩んでいなかったでしょう。高校生の頃に美大を選んだときから自分の周りの人とは一歩ずれた道を歩んできました。ムサビには個を主張し、みんな違ってみんないいという文化がある。人と違うことをやるのにポジティブになれたのはムサビのおかげだと感謝しています。また、なんでも作れると思えるようになったことも。WEBサイトも動画も、サロンの床張りも自作です!

― ムサビの学生さんへのメッセージをお願いします。
人と違う選択肢を取ることは一瞬難しいかもしれないけれど、その後楽になりますよ、比較する人がいなくなるから。美大に行ったからといって、美術デザインの業界や職種につかなくてもいいのです。学んだことは自分の思考の中に押し込まれているので、どんな仕事をしようとどう生きようと全部活きてくるはず。ムサビの学生生活は「答えのないものをずっと考える」4年間です。だから一生正解がわからないものを探し続ける忍耐力に、ムサビ生は長けていると思うのです。
編集後記:
いつかインドに住むのが夢の一つとのこと。インドがヨガの発祥の地だからというだけでなく、好きも嫌いも包み隠さないインド人気質が性に合い、自分もナチュラルでいられて心地よかったそうだ。明るくポジティブなオーラが溢れる池田さんからヨガを習ったら、きっと心が大らかになって、ちょっとだけインド人みたいになれるかもしれない。
取材:大橋デイビッドソン邦子(05通デコミ/グラフィックデザイナー)
ライタープロフィール
名古屋出身。グラフィックデザイナー/ライター。2006年に武蔵美通信コミュニケーショデザインコースを卒業後、渡米し、2008年よりスミソニアン自然歴史博物館でグラフィックデザインを手がける。2015年より東京在住。現在は日本の伝統工芸の存続を支援するNPO、JapanCraft21のデザインを担当している。
撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)