モンゴルマン 斉藤俊一(さいとう・しゅんいち)
「あさひの芸術祭」実行委員会代表
(2018年[2017年度]武蔵野美術大学造形学部通信教育課程油絵学科絵画コース卒業)
1970年千葉県旭市生まれ。千葉県立匝瑳(そうさ)高等学校出身。子供の頃からプロレスと絵を描くことが好きだった。「ザ☆モンゴルマン」のリングネームで1991年、東京・後楽園ホールでプロレスデビュー。20代後半にはテレビのバラエティ番組で注目を浴び、CM、ドラマ、映画などにも出演する。プロレス引退後、30代からブラジリアン柔術(※1)に取り組み、国際大会で優勝を飾り、今は指導者として道場に行く。ムサビ卒業後、地元アーティスト仲間たちと「あさひの芸術祭」を企画し、2023年、2024年に開催。「こんなにいい所はない」と旭市をこよなく愛し、アートを通じての街の活性化を模索している。
※1:ブラジリアン柔術:ブラジルに移民した日本人柔道家・前田光世から柔術の技術を学んだカーロス・グレーシーらが改変してできあがったもの。ブラジルから日本をはじめ世界中に普及した。寝技の組み技主体なので、安全性が高く、全くの素人からでも始められることから、競技人口が急速に増加している。
Webサイト:https://note.com/the_mongolman/n/n20d1dacbf676
あさひの芸術祭Webサイト:https://www.asagei.org/
Instagram:@asa_gei
【スライド写真について】
1. 本人ポートレート
2. 『あさひの塔』:醤油工場で廃棄となった鉄製タンクを再利用して制作。波を掻き分けて進む船を描き、津波やコロナの波に負けず、フロンティア精神で乗り越えようというメッセージを込めた。
3. 旭駅前ロータリーにある『ドラム缶ベンチ』。旭の街にはアートが散在している。
4. あさひの芸術祭2023では、東日本大震災の津波被害後に使われた仮設住宅内に作品を展示。展示絵画は自作『楽奏神仏シリーズ』
アートの力で、愛する我が街あさひの魅力を世界にとどろかせたい
─ プロレスラー、タレント、郵便局員、教員、ブラジリアン柔術、アーティストと多彩な経歴をお持ちですね。そもそも格闘技に関心を持ったのはどうしてですか?
子供の頃はちょうどプロレスブーム全盛期で、プロレスの話しかしないくらいの、大プロレスファンでした。それで高校卒業後、デザインの専門学校進学のために上京したものの、親には内緒で学校の代わりに格闘技の道場に通う日々。21歳に、超満員の後楽園ホールでプロデビューしました。マスクマンとしてマスクで顔を隠して出場していたので、同じジムの仲間以外、友達や家族にも打ち明けず巡業にも行きました。そんなとき父が病気になり、やむなく帰郷し、地元の郵便局で働いたのです。
その後父の体調が落ち着いたので、20代半ばに横浜に移ってトレーニングを続け、26歳でプロレスラーとして再デビュー。タレント活動もするうちに、ドラマ出演の仕事も回ってきて、さすがにマスクはまずかろうということで、素顔のモンゴルマンに変身しました。その結果、再びプロレスをやっていることが家族にばれ、親の反対や肩の骨折などが重なり、旭に舞い戻ることになったのが30歳の頃。しばらく工場でバイトしながら勉強をして、特別支援学校の教員として働いていました。
その頃に打ち込んだのがブラジリアン柔術です。ブラジリアン柔術は寝技の組み技主体で柔道のような「投げ技による一本勝ち」がなく、下になっても寝技が延々と続きます。複雑な技がいろいろあり、実にアーティスティックな格闘技。力で負けても知識や経験で得た技術で逆転することができ、やればやるほど奥が深くておもしろいのです。
─ 多様な仕事から一転して、アートに専念しようと入ったムサビでの学生生活はいかがでしたか?
もともと格闘技で世界チャンピオンになったらアートに専念する気でいましたが、アジアチャンピオンまで昇り詰めてから選手としてはそこで区切りをつけ、ムサビの通信教育課程の油絵学科に入りました。仕事の幅を増やし一般校でも教えられるよう、美術の教員免許を取るためです。ところが絵を描くことはそこそこできても、他の学生と会話が合わない。つまり自分の美術の知識は超有名画家程度で、より広い見識を持つ周囲の話に全然ついていけなかったのです。これはまずいと、急遽パリに行き、ルーブルやオルセー美術館などを観て周り大勢の画家たちの作品を目にしました。そして美術館に展示されている作品のレベルくらい描ければ、「絵が描ける」と言えるのだと理解し、それを目指すことにしたのです。
卒業制作作品『楽奏神仏シリーズ』
─ ムサビの芸術祭に通信課程の学生として初めて参加したそうですね。
『ロックン阿修羅』の後、神仏が楽器を演奏し平和へ誘うというテーマの作品『楽奏神仏シリーズ』を描いて、グループ展などで発表していたところ、ムサビの芸術祭があると知りました。ぜひ芸術祭に参加して大勢の人に見てもらいたいと思ったのですが、通信の学生の出展は前例がないとのこと。では、自らが前例になってやるぞとLINEで参加希望の仲間を集い、100人ほどのグループを作りました。実現には困難が多かったのですが、それでも諦めずに大学側に掛け合って、なんとか許可を取り付け、出展までこぎつけることができたのです。この経験から「アートは壁を突破するためにあるのだ」と実感。そのために俺はアートをやるんじゃないかと考えだしたのです。
─ あさひで芸術祭をやろうと思ったきっかけはなんでしたか?
2018年に訪れた大地の芸術祭(※2)です。目立った観光地でもない場所に観光バスが連なり、大勢の外国人が展示会場に吸い込まれていく光景に、非常に大きな衝撃を受けました。この辺りの田んぼの景色は旭とそんなに変わらない。ここでできるのなら、成田空港から1時間というアクセスのよい旭で芸術祭をやれないわけがないと。
ムサビを卒業した後は、アートで食べていくんだと一念発起して正規の職員を退職し、中学高校の美術講師、児童相談所や特別支援学校の指導員として働きながら、地元での芸術祭開催に向けて仲間を集め、本格的にアート活動を開始したのです。まずミュージックビデオ(※3)を作ってYouTube に載せました。コロナ禍の2020年には『人間大のアマビエ像』を作り、「疫病退散、第二波防止!」と学校で巡回展示して喜ばれましたよ。また、廃材を利用して制作した『あさひの塔』(2021年完成)は芸術祭のシンボル的な存在です。さらに他地域のイベントを視察し、そこで出会ったアーティストに「あさげー(あさひの芸術祭)に出ないか」とスカウトしていました。
※2 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ:新潟県十日町市および津南町で開催される世界最大規模の国際芸術祭。日本中で開催されている地域芸術祭の草分け的イベント
※3『This is a Pain!』チキンハートコネクション:https://www.youtube.com/watch?v=06IDDcwsR_w
2020年コロナ禍において、等身大アマビエ立像を制作し、旭市内全20の小中学校などで展示し新型コロナウィルスと共に「心のウイルス」退散を呼びかけた。
─ 第1回、第2回のあさひの芸術祭はいかがでしたか。
第1回は2023年4月に開幕。景観名所の公園や交流施設、工房など18ヶ所で参加作家23人の作品を展示しました。来場者は各施設を巡ってスタンプラリーをしながらアート鑑賞をしたり、2011年の津波被害からの復興の状況を実際の仮設住宅を見て学んだり、「食材の宝庫」である旭のおいしものを味わったりして楽しみました。
『竜王絵巻』すずきらなさんと地元の子供達との合作。旭市飯岡地区は東日本大震災で甚大な津波被害を受けた。海岸堤防は復興の象徴のひとつ。100mの壁画には地元の守り神である竜が描かれている。(すずきらなさんは旭市出身、2018年武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒の黒板アート作家)
第2回は2年後を予定していたのですが、スタッフらのやりたいという声に応えて今年7月に行いました。前回より展示エリアを狭め「あさひ街ぶら芸術祭」として、ぶらぶら歩きながら街のあちこちに散りばめられたアートに触れるイベントを開催。旭市民と共同制作する招待作家、30組を超える地元作家ほか全国で活躍中の作家ら50組以上の作品が、閉店してしまった店舗も含む商店街の店々の中に展示されました。シャッター街はアートの展示場として蘇り、営業している店にとっては常連客以外が足を運ぶきっかけとなる。コロナで希薄化した近所付き合いの復活につなげたいと考えました。また、旭市が取り組む糖尿病予防のCCDプロジェクト(※4)の一環として、街を歩いて健康になろうというウォークラリーも実施。来年は過去2年間のいいところをミックスした発展形を考えています。
※4 CCDプロジェクト:旭市と千葉大学医学部附属病院、ノボルディスク ファーマ(株)が協定を締結し、糖尿病の発症予防と重症化予防のための活動及び共同研究を進めている。
三組の招待アーティストが何度も訪問して市民と交流し共同作品を作成。
街ぶらスタンプラリーはホテルの無料宿泊券の抽選プレゼント付き。
─ あさげー(あさひの芸術祭)の今後の目標はなんでしょうか?
1回目は災害対策への喚起、2回目は健康増進をというように、アートを通して何らかの啓蒙を図っていきたいし一つ一つ意味のある展示を多く残していきたい。来年は戦後80年なので、反戦を一つのテーマに掲げています。ムサビ関係の作家も起用し、来年のメインキャストの一人には山内若菜さん(1999年武蔵野美術大学 短期大学部 専攻科 美術専攻卒業)を予定しています。やがてはムサビC I学科の学生にも関わってもらい、アートを利したまちづくりを体感してもらいたい。SDGsとアートの共演も推進していきたい。そして2030年に完成形を示したい。「これがあさげーだ!」と世界に誇れるような芸術祭を目指します。
─ 仕事する上で大切にしていることは何ですか?
「お前が本当にやりたいことは、お前が思っていないことではないか」ムサビの先生からの言葉が心に残っています。不確定な要素をも飲み込んで、そこに楽しさを見出せとおっしゃりたかったのではないかと。物事を進めていくと自ずと、仲間内が楽しければいい、問題が起こらなければいいと、予定調和の中におさまってしまいがちですが、それではおもしろいものは生まれない。計算外のおもしろさの可能性を信じ、それを楽しむというゆとりを残したい。芸術祭とは新しい文化を作ること、自分達は文化の作り手なのだから、過去の踏襲じゃなくて、前回のことは一旦壊してそこから作り上げていこうと仲間と話しています。
プロレスは基本的にアートです。勝ち負けを競う格闘技におもしろいストーリーを加えて表現するアート作品なのです。大分体力もいるし危険ですが。だから、やっていることがプロレスから造形制作に変わって驚かれるけれど、両方ともアートなので、自分にとっては油絵から日本画に変わったくらいの感覚なんです(笑)。そして、作家として制作もするし、プロデューサーとしてあさげーを育てていきたい。
─ 学生へのアドバイスをお願いします。
履歴書では客観的に一貫性とか継続とかを求められるかもしれないが、人は誰しも浮き沈みがあるのだから、無理して続けようと思わずに、やれる時にやり、休みたくなったら休めばいい。そういう柔軟な社会を作ることに寄与したい。どんなことでも一つの経験と捉えればいいのではないか。自らをフォーマットに入れ込まない生き方をして欲しい。
編集後記:
「プロレスはアート」とはまさしく目から鱗だった。そう考えると、身の回りのあらゆることが、アート作品に思えてきた。「旭には海も丘も田畑もあって、肉・魚介・米・野菜・果物、何でも美味しいんです!」胸を張って地元愛を語る斉藤さんはとても眩しかった。途中出会った人々からは、彼が街の原動力で人気者だということがひしひしと伝わってきた。次回の芸術祭にはぜひとも足を運び、これからのあさげーを応援したい。
取材:大橋デイビッドソン邦子(05通デコミ/グラフィックデザイナー)
ライタープロフィール
名古屋出身。グラフィックデザイナー/ライター。2006年に武蔵美通信コミュニケーショデザインコースを卒業後、渡米し、2008年よりスミソニアン自然歴史博物館でグラフィックデザインを手がける。2015年より東京在住。現在は日本の伝統工芸の存続を支援するNPO、JapanCraft21のデザインを担当している。
撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)