石川 美枝子(いしかわ・みえこ)
ボタニカルアーティスト・講師
(1973年[1972年度]武蔵野美術大学 造形学部産業デザイン学科商業デザイン専攻卒業)
東京生まれ。武蔵野美術大学を卒業後、自然科学系のイラストレーターを経て、35年以上にわたりボタニカルアートに焦点を当てる。
主なテーマは日本のサクラと、ボルネオの熱帯雨林で育つ植物で、13回のボルネオ取材を重ねて描く。国内外の多くの展覧会に出品。2001年にワシントンDCにある米国国立樹木園で個展開催、2003年日本大使館 広報文化センターで個展開催。2009年に英国チャールズ国王の皇太子時代に、皇太子の別荘のお庭の植物を描くプロジェクトに参加。その他に、米国、南アフリカのボタニカルアートのプロジェクトに参加。アメリカ植物画家協会から複数賞を受賞。2022年に英国シャーリー・シャーウッド・ボタニカルアート賞を受賞。講師も長年続け、また後進の指導にもあたっている。
主な出版物は、園芸大百科事典、デスク版フルール(講談社)/原色園芸大図鑑、原色樹木大図鑑(北隆館)/ 落葉図鑑(文一総合出版)、Shirley Sherwood Collectionなどの画集に多くの作品掲載がされている。
Webサイト:https://www.miekoishikawa-botanical.com/
【スライド写真について】
1. 本人ポートレート
2. 作品『ラフレシア・ ケイティ』
3. 作品『ネペンテス・アンプラリア』
4. 作品『ブルネイのドングリ』
5. 2007年マレーシアにて。ネペンテス取材の様子
ひとつのことを追求し続けることで、世界は広がる
─ ムサビに入学したきっかけを教えてください。
子どもの頃から絵を描くのが好きでした。それで小学校からすでに須田寿先生(後1965年武蔵野美術大学教授に就任)のアトリエに通っていて。中学校からはムサビの卒業生である伊能洋先生のアトリエで油絵を学びました。
それからますます絵画に夢中になり、高校生になる頃には美術関係の仕事に進みたいと思うようになっていたんです。高校2年生になった頃、伊能先生に美大受験の相談をしたところ「木炭デッサンを始めましょう」といわれ、本格的にデッサンの勉強を始めました。
当時の私は、デザインやイラストレーターといった華やかな活動に憧れていたので、自然とデザイン科を志望したんです。

─ 在学中に夢中になったことは?
在学中もデッサンの課題に夢中になりました。特にデッサンの授業では、描く対象をしっかりと観察し、質感や空間をモノクロで表現することがとても面白く感じたんです。デッサン室にひとりで通っては、鉛筆で描くことに没頭していました。
ある時に、グリーティングカードのアルバイトで、草花を描くという仕事をいただいたことも良い経験でした。自然の植物を観察して描くことが非常に楽しくて、「こういった自然のものを描く仕事ができたらいいな」と思うようになっていったんです。思い返すとこの頃から、デザインよりも自然にあるものをじっくり観察して描くことに惹かれていったように思います。

─ 卒業後は、どのようなお仕事をされていましたか?
大学4年生になった頃には「描く対象を見つめて、絵を描く」方が合っているなと本格的に思うようになっていて。結局就職はせずに、印刷会社の企画室でアルバイトをしながらイラストを描くという仕事を始めました。
それから3年間出版社から「昆虫や植物などの自然科学系のイラストを描いてほしい」という依頼を受けていました。いろんな分野の絵を描いて、書籍に掲載していただくのも本当に嬉しかったですね。
─ 現在のように植物に特化されていったのは、どのような背景があったのでしょうか?
ある出版社の編集者さんに、昆虫画家の方が描くイラストを見せてもらったんです。そこで衝撃を受けたというか。そういった方々の多くは、いわゆる“昆虫好きの少年”がそのまま画家になられたようでした。例えば、触角から爪の先端まで、隅から隅まで昆虫のことを知り尽くしている。
その瞬間に「自分の専門分野を持つべきだ」と強く感じ、私は植物を選んだんです。以降は、植物の講座に通ったり、植物に関わる先生と知り合ったりして。特化する分野を決めると、そういう方向へだんだんと進んでいくことができたんです。

─ 植物の中でも、さらに特化されている石川さんの代表的なテーマのひとつが「サクラ」ですね。
ある樹木図鑑のお仕事で監修の先生に「サクラを描かないか」といわれたのですが、サクラはとても難しく、一度はお断りしたんです。それでも「描けるから」と仰っていただいて。その依頼をしてくださった先生が、日本のサクラの種を保存するための「森林総合研究所 多摩森林科学園(八王子市)」にあるサクラ保存林を作られた方だったんです。先生にご協力いただき、保存林を歩き、自分で調べて、53点のサクラを描きあげました。
ただ仕事は時間に追われるもの。描けば描くほど「もっときちんと日本のサクラを描きたい」と思い、サクラをテーマとして描き始めることになりました。研究者の方々にはずいぶんとお世話になりました。

『オオヤマザクラ』
─ その頃はすでにボタニカルアーティストとして活動をされていたのでしょうか?
ボタニカルアートとは、植物学的に間違いのないように正しく描くというのが前提です。写真がない時代に植物を描いて記録するという大きな役目がありました。特に写真がない大航海時代(15〜17世紀頃)に、世界中の植物がヨーロッパに集まってきて、それを記録するためには絵を描くのが一番適していたというわけだったんですね。

一方で当時私はサイエンティフィックな絵を描きたいと考えていたため、ボタニカルアートとまでは考えていなかったんです。でもお世話になった研究者の方が、ボタニカルアートを習っていると伺って。その教室で指導されていたのが、日本のボタニカルアートの草分けのひとりである藤島淳三先生だったんです。そこで私も、クラスに参加させていただくことにしました。
藤島先生から学んだのは「何を描くか」というテーマを持ったらその植物の自生地や栽培されている場所などに通い、取材を重ね作品制作をしていくということでした。
それからは図鑑に掲載するイラストレーションのお仕事も続けながら、展覧会に出品できるような作品も描くようになっていったんです。徐々に日本でもボタニカルアートが知られるようになり、まさにこれからという時期でしたね。

─ 石川さんは、日本よりも海外で多くの展示会を開催されてきましたね。
私が初めて参加した海外の展示会は、1995年にピッツバーグにあるHunt Instituteというボタニカルアートの研究所からのお声がけがきっかけでした。3年に1度開催されるインターナショナル・エキシビションに出品してみないか、と誘われたんです。「私がですか?」と驚きましたが、日本人の優れた画家を海外に紹介したいということで尽力してくださっていたので、時間をかけて作品を制作することにしました。
ただ、その時期に身内に不幸があり、本来出す予定だった作品が間に合わず、苦肉の策で小さなドングリの絵を出品することになったんです。

1995 Hunt Instituteにて。ドングリの作品と石川さん
現地に行くまでは「こんな小さな絵で大丈夫かな」と不安でしたが、予想外にその絵が会場で注目を集めていました。大きなギャラリーの中で、一番小さな絵だったんですよ。でも世界中の人々が、ドングリが好きということがわかりました。インターナショナル・エキシビションを機に、海外でのさまざまな展覧会に招いていただけるようになりました。

2017年オランダでは、7か国のアーティストたちとのグループ展を行った
それともう一つ、イギリスで世界中から植物画を収集していらっしゃる植物学者シャーリー・シャーウッド博士との出会いはとても大きかったです。彼女はドングリの絵を大変気に入ってくださり、「この作品を譲ってもらえないか」と仰ってくださったんです。ただHunt Instituteに寄贈することが決まっていたためお断りしました。それでも彼女は後に私の家に来てくださって、サクラの作品をいくつかコレクションに加えてくださったんです。

シャーリー・シャーウッド博士(写真右)との交流は今でも続き、2022年には新設された「ボタニカルアートに貢献したアーティストに贈られる、『シャーリー・シャーウッドボタニカルアート賞』」を初めの受賞者として受賞。キュー植物園にて。
─ 海外と日本でのアート活動を経験されて、どのような違いを感じましたか?
日本だと個展を開催してもそれで終わりということが多かったんです。でも海外では、「次に何かやりたいね」とか「こういう方法もあるよ」と提案をしていただきました。実際にそのアイデアが実現するよう、コーディネートしてくれることで次につながっていくこともありました。
そのため日本でも、こういった形でアーティストが次々と新しい機会を得られるような環境が整えば、もっと発展するのになと常々思っているんです。今はまだ、アーティストが自力でやらなければいけないことが多いから。私も微力ながら、そういった方々がチャンスをつなげていくことができる方法を模索しているところです。

2016年フローラ・ジャポニカ展会場、キュー植物園レセプションにて
─ もうひとつ、石川さんにとって重要なテーマが「ボルネオの植物」です。今もなお東南アジアのボルネオへ取材を重ねてこられていますね。一貫したテーマを持つことは、活動にどのような影響がありますか?
そうですね。今はボルネオの取材が、活動の主体となっています。1994年に初めて現地へ行った際、「地球上にこんな素晴らしい場所があるのか」と打ちのめされました。
それでまたいろいろ調べていくと、この壮大な熱帯雨林は多様な生物の共生関係や、非常に複雑な生態系で成り立っているということがわかったんです。一方で主に開発により、ボルネオの森林は減少の一途をたどっています。私も取材を通じてその深刻さを感じ、また気候変動の影響も大変懸念されます。

1999年マレーシアにて行ったラフレシア取材の様子
作品を通して、熱帯雨林の素晴らしい植物が存在していることを知っていただけたら嬉しいです。そして未来にわたってこの地球環境が存続していくことを少しでも考えてもらえたらと願っています。
こうやって広い視野で見るということは、普段はむずかしいことかもしれません。でもひとつのテーマを持つことで、次々に新しい知識や視点が広がっていくんです。
─ ムサビで学ぶ学生にメッセージをお願いします。
「継続は力なり」ですね。時には困難が立ちはだかることもある、順調に行くことばかりではありません。でも、そこで諦めないで欲しい。私のボタニカルアートのクラスでも「もうこれ以上描けません」といわれたら「ネバーギブアップです!」といっています(笑)。
いろんな人に出会い、経験して、その分野で他人の役に立つこともして。遠回りしていると感じることもあるけれど、逆にその遠回りが役に立ったということもあったんです。ぜひ、自分の思う素晴らしい世界を求めて羽ばたいていただけたらと思っています。

取材:細野由季恵(10学視/エディター・ディレクター)
ライタープロフィール
札幌出身、東京在住。フリーランスのWEBエディター/ディレクター。
好きなものは鴨せいろ。「おいどん」という猫を飼っている。
撮影:野崎 航正(09学映/写真コース)